第二パスポートはなぜ富裕層が欲しがるのか——国籍の設計という概念
ゴールデンパスポート(シチズンシップ・バイ・インベストメント)の仕組み、マルタ・バヌアツ等の制度、日本パスポートの渡航力、複数国籍の税務上の意義を解説。
パスポートのランキングというものがある。何カ国にビザなしで入れるかを競う「旅券指数」だ。
2025年のHenley Passport Indexでは、日本のパスポートは193カ国・地域にビザなし(または到着ビザ)で渡航可能で、世界最高水準の一つだ。
一方、超富裕層の中には、日本のパスポートを持ちながら「別の国の国籍も持ちたい」と考える人が増えている。旅行の利便性ではなく、「税務上の住所」「資産保全」「政治的リスクの分散」のために。
ゴールデンパスポートとは何か
「Citizenship by Investment(CBI)」、日本語で言えば「投資による国籍取得制度」のことを一般に「ゴールデンパスポート」と呼ぶ。
国に一定額を投資(または寄付)することで、市民権(パスポート)を取得できる仕組みだ。国家が「国籍を売っている」とも言えるが、資金不足に悩む小国にとっては重要な財政手段でもある。
主要なCBI制度の比較
| 国 | 最低投資額(概算) | 取得期間 | 渡航可能国数 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| マルタ | €60万以上(EU圏外者) | 12〜36ヶ月 | 180カ国超(EU) | EU市民権。EU諸国で居住・就労可能 |
| バヌアツ | US$130,000〜 | 30〜60日 | 100カ国前後 | 世界最速とされる。太平洋の島国 |
| グレナダ | US$150,000〜 | 4〜6ヶ月 | 140カ国前後 | E-2ビザ(米国投資ビザ)が使える唯一のCBI国 |
| セントキッツ・ネービス | US$250,000〜 | 3〜6ヶ月 | 150カ国前後 | 最古のCBIプログラム(1984年〜) |
| アンティグア | US$100,000〜 | 3〜6ヶ月 | 150カ国前後 | カリブ海の島国 |
| ジョーダン | US$750,000〜 | — | — | 中東での拠点として |
コストが低いのはバヌアツ(US$130,000〜、約2,000万円)。EU市民権として最も価値が高いのはマルタだが、取得コストは大幅に高く、€60万(約9,300万円)の寄付に加え不動産購入等も求められる。
日本のパスポートが「強い」のに、なぜ第二国籍が必要か
日本のパスポートはほぼ世界中に行ける。ではなぜ富裕層は追加の国籍を欲しがるのか。
理由は大きく3つある。
1. 税務上の居住地の切り替え
日本に住んでいる間は、全世界所得に対して日本の所得税・相続税が課される。相続税率は最高55%。資産10億円の人が亡くなれば、単純計算で5億円超が税に消える。
これを避けるために、富裕層の一部は「日本を出て税負担の低い国に移住する」選択をする。ただし、日本居住者から見ると「本当に移住したのか」が重要になる。「住所だけ動かして実態は日本にいる」というスキームは、「租税回避」として課税当局に認定されるリスクがある。
第二国籍を持つことで「別の国の市民として居住している」という実態を作りやすくなる、という側面がある。
2. 資産保全と政治リスクの分散
「一国集中リスク」という概念がある。資産・国籍・居住地が全て日本に集中している状態は、日本が何らかのリスクに晒されたときに影響が直撃する。
戦争・政変・通貨危機・ハイパーインフレ等のリスクを「ゼロ」と言い切れない以上、複数の「旗」を立てておくという考え方だ。
3. 子どもや孫への「オプション」
将来の選択肢を広げるために、子どもに外国籍を持たせる、という発想もある。グレナダのCBIは、申請者と「配偶者・子ども・孫・兄弟姉妹」まで国籍を取得できる家族包含の仕組みがある。
日本と複数国籍——現行法の制限
日本国籍法は、基本的に複数国籍を認めていない。
外国籍を自分の意思で取得した場合、日本国籍を失う(国籍法第11条)。また、日本国籍を選択する義務もある(22歳まで、または外国籍取得から2年以内)。
実際には、日本当局が全ての二重国籍を把握・摘発しているわけではなく、事実上の二重国籍状態の人が存在するとも言われる。しかし法律上はリスクがあり、公務員・防衛省・外交官等の職は日本国籍単独が求められる。
つまり日本人がCBIで第二国籍を取得した場合、法律上は日本国籍を失う。「日本パスポートを持ちながらバヌアツ国籍も持つ」という状態は、日本の法律上は認められていない。
税務上のリアルな使い方
CBIプログラムを「税務戦略の一手」として使う場合、単に国籍を取得するだけでは不十分で、以下のセットが必要になる。
- 日本の住民票を抜く(非居住者になる)
- 移住先で実際に生活する(日本の課税当局が「実態がない」と判断しない程度に)
- 移住先の税制を理解する(バヌアツは個人所得税・キャピタルゲイン税がゼロ。ただし、そもそも経済基盤が乏しい)
- 日本の出国税(Exit Tax)を把握する(1億円超の有価証券・未決済デリバティブを持つ居住者が出国する際、含み益に20%課税される制度が2015年から導入されている)
日本の出国税については、別記事「日本の出国税——1億円超の資産を持つ人が出国前に知っておくべきこと」でも解説している。
旅行目的での取得——コストに見合うか
「ビザなし渡航先が増える」という純粋な旅行目的でのCBI取得は、コスト面で見合わないケースが多い。
日本パスポートの渡航力はすでに世界最高水準のひとつだ。追加で取得してもカバーできる国は実質的にほとんど増えない(取得できる国によっては、むしろ日本パスポートのほうが渡航力が高い)。
投資額US$130,000〜(約2,000万円)をかけてバヌアツ国籍を取得するより、ビザが必要な数少ない国のビザを個別に取得するほうが安上がりだ。
まとめ
第二国籍の設計は「税務」「資産保全」「政治リスク分散」という複数の目的を持つ富裕層の戦略的選択肢だ。単純に「パスポートが強くなる」という話ではない。
日本人の場合は国籍法の制約があり、「日本国籍を保ちながら別の国籍も持つ」という状態は原則として法律上できない。取得を検討する場合は、税務・法務の専門家と相談しながら進めることになる。
参考情報
- Henley Passport Index: henleypassportindex.com
- 日本国籍法(e-gov): laws.e-gov.go.jp
- Citizenship by Investment Unit(マルタ): identitymalta.com