フィリピンの土地改革——農業国の農民はなぜ土地を持てないのか
フィリピンは農業国でありながら、農地の多くを大地主が占有してきた。何度も試みられた土地改革の歴史と、農村に残る構造的貧困の現実。
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フィリピンは農業大国のはずだ。国土の3割以上が農地で、米・砂糖・バナナ・パイナップルを大量に産出する。にもかかわらず、農村貧困率は都市部より一貫して高く、農民が土地を持てない構造が長年続いてきた。
なぜか。その答えは400年以上前に始まる。
スペイン植民地時代(1565〜1898年)、広大な農地は修道会(フライル)と少数のスペイン系地主に集中した。独立後もフィリピン・エリート(アシエンダ主)がその土地を引き継ぎ、小作農(テナント)が収穫の50〜60%を地代として支払う構造が続いた。
マルコス政権下の1972年、大統領令第27号によって水田と玉蜀黍畑を対象とした土地改革が宣言された。農民に土地所有権を与えるという約束だったが、実施は遅れ、地主側の政治力が改革を骨抜きにした。
最大の土地改革の試みは1988年、コラソン・アキノ政権下での「総合農地改革法(CARP)」だ。農地を地主から取り上げ、農民に配分することを目的とした野心的な政策で、対象面積は推定600万ヘクタール以上とされた。
しかし実施は難航した。地主(アシエンダ主)の多くが政界に強いコネを持ち、法的手続きを引き延ばしたり、農地をリゾートや工場用地に転用して適用除外を試みた。皮肉なことに、アキノ大統領自身の家族が経営するアシエンダ・ルイシタ(タルラック州)の土地改革を巡る争いは、2010年代まで続いた。
農村で小作農として働くフィリピン人の現実は厳しい。収穫の大半を地代として払い終えると、手元には生活費にも満たない取り分しか残らないことがある。子どもを都市部に出稼ぎに出すか、サウジアラビア・香港・日本などへのOFW(海外出稼ぎ労働者)に家族を送り出すのが農村の現実的な選択肢だ。
農業就業者の収入は都市部の同年代と比べ大幅に低く、農村からの人口流出が止まらない。農業の機械化も遅れているため、生産性向上も課題として残っている。
土地改革の問題は、フィリピンの政治・経済・貧困問題の核心に触れる。「なぜフィリピンは豊かな農業資源を持ちながら農村貧困が解消されないのか」——その問いへの答えは、土地がどこに集中しているかを見れば、かなりの部分が説明できる。
農民が土地を求めて戦う歴史は、今も形を変えて続いている。