ビノンド——世界最古の中華街がマニラにある
1594年に建設されたマニラのビノンドは、世界最古の中華街とも言われる。スペイン植民地時代から続く商業地区が映すフィリピンと中国の複雑な関係。
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マニラのパッシグ川を渡るとイントラムロス(スペイン時代の城壁都市)がある。その北岸に位置するビノンド(Binondo)は、1594年にスペイン植民地政府によって建設されたとされる中華街だ。「世界最古の中華街」として紹介されることもある。
横浜中華街が開設されたのは1859年、サンフランシスコのチャイナタウンが形成されたのは19世紀中頃。それに比べ、ビノンドは約250年以上早く成立した計算になる。
スペインはなぜ中国人居住区を設けたのか。答えは経済的必要性にある。
16〜17世紀のマニラは、アカプルコ(メキシコ)とを結ぶ「ガレオン貿易」の中継拠点だった。中国から絹・陶磁器・香辛料を運んでくる商人(サンヒレス、後にサングレイと呼ばれた福建省出身の中国人)がいなければ、この交易は成り立たなかった。スペイン人は彼らの存在を経済的に不可欠としながら、同時に人口増加を恐れて隔離政策をとった。ビノンドはその産物だ。
その後の歴史はしばしば血で塗られた。1603年、1639年、1662年——マニラでは繰り返し「中国人虐殺」が起きた。いずれもスペイン当局と中国人コミュニティの緊張が爆発したものだ。それでも中国人商人はマニラに戻り続けた。それほどこの地の商業的価値が高かった。
その粘り強さの末裔が「フィリピン系中国人(チノイ、Chinoy)」と呼ばれる今日のコミュニティだ。フィリピンの財閥・大企業の多くはチノイ系だという見方がある。銀行、小売、不動産、製造業——各セクターの主要プレイヤーを調べると、福建省にルーツを持つ家族名が並ぶ。
現在のビノンドは、観光地というより現役の商業地区だ。乾物・漢方薬・生地・電子部品の卸売り業者が軒を連ね、早朝から物流が動いている。食べ物も充実していて、シオパオ(肉まん)、シャーロン(揚げ春巻き)、アロスカルド(おかゆ)といったフィリピン中華料理を路上で食べる光景が今も続く。
ただし観光客向けに整備された「きれいな中華街」ではない。路地は狭く、交通量は多く、雨季には浸水しやすい。訪れるなら早朝か夕方が歩きやすい。
フィリピン人のアイデンティティとチノイの関係は、単純ではない。長い歴史の中で混血が進み、タガログ語・セブアノ語を母語とし、カトリックに改宗したチノイの子孫は、「中国人」とも「フィリピン人」とも言い切れない文化的位置にいる。
中国の海洋進出が南シナ海で問題になる中、フィリピン社会でチノイの立ち位置は複雑さを増している。ビノンドの路地を歩くと、数百年にわたる対立と融合の歴史が、建物の隙間から顔を出してくる気がする。