スペイン330年・アメリカ50年——植民地の記憶はどこに残っているか
フィリピンは330年のスペイン支配と約50年のアメリカ統治を経験した。その痕跡は言語・宗教・教育・法制度・食文化に深く刻まれている。植民地史から見るフィリピン人のアイデンティティ。
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フィリピンは400年近く外国の支配下に置かれた——スペインが1565年から1898年まで約333年間、その後アメリカが1898年から1946年まで約48年間だ(日本軍占領の3年間を含む)。独立から2026年で80年。植民地時代より独立後の時間の方がまだ短い。
その歴史の痕跡は、今もフィリピン社会のあちこちに生きている。
スペインが残したもので最も深いのは、カトリック信仰だ。人口の約80%以上がカトリックというのは、アジアでは異例の数値だ。教会は各バランガイの中心にあり、洗礼・結婚・葬儀の場として機能している。日曜日のミサに家族連れで通う文化は、都市でも農村でも続いている。
姓の構造(スペイン系が多い)、食文化(アドボ、レチョン、エンパナーダ)、曜日・月名・数詞にスペイン語が残ることも前の記事で触れた通りだ。
アメリカが残したものは、現代フィリピン社会の制度的な骨格だ。英語を公用語とする教育制度、大統領制(三権分立)、コモンロー的な司法制度、資本主義的な市場経済の基盤——これらはすべてアメリカ統治時代に確立された。
フィリピン人の英語力の高さは、アメリカが公立学校で英語教育を徹底した結果だ。アメリカ人教師を大量に派遣して英語教育を推進した時代(1900年代初頭)の「トマシット(Thomasites)」と呼ばれる教師たちの活動は、今のフィリピンの英語力の遠い源流だ。
ただしアメリカの影響は均等ではない。フィリピン人の対米感情は複雑で、アメリカ文化への親しみと、植民地支配への批判的な目が共存している。フィリピン独立を巡る米比戦争(1899〜1902年)ではフィリピン人の多数が命を落とした。この歴史はアメリカではほとんど語られないが、フィリピンでは植民地支配の文脈で記憶されている。
フィリピン人のアイデンティティは、この「何者でもあり、何者でもある」という状況の中に形成されてきた。スペインの宗教、アメリカの制度、アジア各国の文化、そしてフィリピン固有の土着文化が混ざり合い、「フィリピン人らしさ」という何かが生まれた。
それは「混合」を恥じるものではなく、混合そのものをアイデンティティとする感覚に近い。植民地の歴史を知ることで、フィリピン人の柔軟さと適応力の由来が、少し見えてくる気がする。