コレヒドール島——マニラ湾口に沈んだ戦争の記憶
1942年、日本軍との激戦の末に陥落したコレヒドール島。今はマニラから日帰り観光ができる。フィリピンと日本の戦争記憶の非対称について。
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マニラ湾の入口にコレヒドール島がある。マニラ市内からフェリーで約1時間で到着する小さな島に、第二次世界大戦の史跡が今も残っている。
1941年12月の日本軍フィリピン侵攻後、マッカーサー将軍率いる米比軍はバターン半島とコレヒドール島に追い詰められ、1942年5月に降伏した。コレヒドール陥落後、米比軍捕虜は「バターン死の行進」に送り込まれ、多数の死者を出した。
島内には今も戦時の砲台跡、弾薬庫、地下トンネル(マリンタ・トンネル)が残る。マリンタ・トンネルはマッカーサーの司令部が置かれた全長260メートルの地下施設で、観光客向けのライトアンドサウンドショーも行われている。
アメリカ人観光客にとって、コレヒドールは「太平洋戦争の記憶」の場所だ。フィリピン人にとっては、外国勢力のはざまで多くのフィリピン人兵士と民間人が命を落とした場所だ。
日本人がコレヒドールを訪れると、複雑な気持ちになることが多い。展示の多くは米比軍の視点で書かれており、日本軍は侵略者として記述される。それは歴史的事実として受け取るほかない。
一方で、フィリピン人の対日感情は、戦争の歴史だけで語れない側面がある。戦後、日本からの政府開発援助(ODA)はフィリピンのインフラ整備に多大な役割を果たした。日本企業の存在感も大きく、日本車・日本製品はフィリピンで高い信頼を持つ。
多くのフィリピン人は「戦争は戦争」「今は友人」という感覚で日本人と接する。ただし年配者の中には、占領期の体験を家族から聞いて育った人もいる。
コレヒドールに行くことは、現代日本人がめったに体験しない種類の「戦争との対峙」だ。バターン死の行進の記念碑、倒壊した建物、慰霊碑——日本語の解説はほとんどなく、英語とタガログ語の世界に立つ。
マニラに住んでいるなら、一度は訪れる価値がある場所だ。