フィリピン人がモールに住んでいる——エアコン代わりのショッピングモール依存
フィリピンではショッピングモールが公共空間・避暑地・社交場として機能している。SMグループの戦略と、モール中心の都市設計が生んだ独特のライフスタイル。
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フィリピンの家庭のエアコン普及率は約15%。一方、SM(シューマート)グループのショッピングモールは全国に80以上ある。つまり、多くのフィリピン人にとって「冷房の効いた場所で過ごす」最も手軽な選択肢はモールに行くことだ。
日曜の午前10時にSMメガモールの入口に行くと、開店前から行列ができている。別に何かのセールがあるわけではない。ただ涼みに来ているのだ。
モールは「公共空間」
フィリピンの都市には、日本のような公園や公共図書館が少ない。マニラの公園は暑さと治安の問題で長時間滞在しにくい。公共図書館はあるが数が圧倒的に足りない。
その空白を埋めているのがショッピングモールだ。フィリピンのモールは日本のイオンモールとは性質が異なる。
教会がある: 大型モールの中にはカトリックの礼拝堂(chapel)が設置されていることがある。日曜ミサをモール内の礼拝堂で行う家族も多い。
役所の出張窓口がある: 一部のモールにはNBI(国家捜査局)のクリアランス発行窓口、DFA(外務省)のパスポート受付、SSS(社会保険庁)の窓口が入っている。行政手続きをモールで済ませるのがフィリピンの日常だ。
銀行・送金・保険: BDO、BPI等の銀行支店、Western Unionの送金窓口、生命保険の営業所がモール内に並ぶ。
つまり、モールは「買い物の場所」ではなく「生活のインフラ」として機能している。
SMグループの支配
フィリピンのモール文化を語る上で避けて通れないのが、SMグループの存在だ。創業者ヘンリー・シー(Henry Sy)は中国福建省からの移民で、靴の小売業からスタートした。
SMグループが運営するモール面積は、フィリピン全体のモール面積の約半分を占めるとされる。SM Mall of Asiaは約42万㎡で、フィリピン最大、東南アジアでも最大級のモールだ。
SMの戦略は「モールの周りに都市を作る」こと。モールを核として、周辺にコンドミニアム(SMDCブランド)、銀行(BDOはSMグループ)、スーパーマーケット(SM Supermarket、SaveMore)を配置する。住む場所・買い物・金融がSMグループで完結する「SMエコシステム」が出来上がっている。
モールの1日
フィリピンのモールの開店時間は通常10:00〜21:00(一部は22:00まで)。しかし、モールの「使われ方」は時間帯で全く変わる。
午前中: 高齢者のウォーキング。開店直後のモール内をスニーカーで歩き回るシニアの集団がいる。涼しくて平らで安全な歩行空間は、マニラの歩道よりモールの通路の方が快適だ。
昼前後: フードコートがオフィスワーカーで埋まる。PHP 80〜150(約216〜405円)でランチが食べられるフードコートは、近隣のBPOオフィスの従業員にとって食堂代わり。
午後: 学校帰りの学生がたむろする。スタバやJollibeeに数時間座って宿題をする高校生。家のWi-Fiより速いモールのWi-Fiが目当てのこともある。
夕方〜夜: 家族連れが映画を観て、夕食をフードコートで食べて帰る。デートコースもモールが定番。
エアコンの経済学
なぜモールがこれほど生活に密着しているのかを理解するには、フィリピンの電気代を知る必要がある。
フィリピンの電気料金は1kWhあたりPHP 10〜12(約27〜32.4円)で、日本とほぼ同水準。しかしフィリピンの平均月収はPHP 15,000〜25,000(約40,500〜67,500円)程度。つまり、可処分所得に対する電気代の比率が圧倒的に高い。
窓型エアコンを1日8時間稼働させると、月の電気代がPHP 3,000〜5,000(約8,100〜13,500円)。月収の20〜30%がエアコン代に消える計算だ。
モールに行けば、その電気代をSMやロビンソンズが負担してくれる。モールは涼むために行く場所であり、その「涼」の対価として何かを買う——この循環がフィリピンのモール経済を支えている。
モールへの依存は都市計画にも影を落としている。主要交差点にモールが配置され、道路設計が駐車場への車の流れを前提にしているため、歩行者が横断しにくい。モールに行けない層——遠隔地の住民、移動手段がない高齢者——の「居場所」が社会から消えていく構造もある。
それでもフィリピンのモールは「社会のリビングルーム」だ。家のリビングが暑すぎる国では、企業が提供する冷房付き巨大空間が公共空間の代わりを果たす。ショッピングモールが都市のインフラになるという逆転は、熱帯の経済と気候が生んだ独特の解法だ。