トンド地区から見えるマニラの別の顔——都市貧困と隣り合わせの日常
マニラのトンド地区はフィリピン最大のスラム地域として知られる。BGCやマカティから車で20分の距離に広がる別世界の構造と、そこに住む人々の日常を記録します。
この記事の日本円換算は、1PHP≒2.7円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(PHP)の金額を基準にしてください。
BGC(ボニファシオ・グローバル・シティ)のガラス張りのコンドミニアムから車で20分。マニラ市トンド地区(Tondo)には、フィリピン最大の都市貧困地域が広がっている。人口密度は1km²あたり約7万人(マニラ市全体で約7.3万人/km²、PSA 2020年国勢調査)。東京23区の約5倍の密度だ。
スモーキー・マウンテンの記憶
トンドが世界的に知られるようになったのは、「スモーキー・マウンテン」と呼ばれた巨大ゴミ山の存在だ。1954年から1995年まで約40年間、マニラの家庭ゴミが積み上げられ、高さ数十メートルの丘を形成した。ゴミの自然発火による煙が常に立ち上っていたことから「スモーキー・マウンテン」と名付けられた。
このゴミ山の上と周辺に、数万人が住み、廃棄物から再利用可能な素材を拾い集めて生計を立てていた。1995年に閉鎖され、跡地には社会住宅が建設されたが、問題は「解決」されたわけではない。住民の多くは別のゴミ集積場周辺に移動しただけだ。
トンドの日常
トンドを歩くと、狭い路地に洗濯物がはためき、子どもたちがバスケットボールをしている。サリサリストア(零細商店)が角ごとに並び、トライシクル(三輪バイク)が人の隙間を縫って走る。
ここでの生活コストは驚くほど低い。
- 家賃: PHP1,500〜3,000/月(約4,050〜8,100円)。1〜2部屋のブロック造りの住居
- 食費: 1食PHP30〜50(約81〜135円)。路上の食堂(carinderia)で米とおかず
- 水道: 共同水栓からの従量制。月PHP200〜500(約540〜1,350円)
- 電気: 月PHP500〜1,500(約1,350〜4,050円)。電気の不正引き込みも多い
インフォーマル経済の厚み
トンドの経済を支えているのは「インフォーマル経済」だ。政府統計に捕捉されない小規模な経済活動のことで、路上販売、廃品回収、トライシクル運転、家事代行、日雇い建設作業などが含まれる。
フィリピンの非正規雇用率は約40%(PSA、2023年)で、都市貧困地域ではさらに高い。ここでは「就職」ではなく「今日の仕事を見つける」が日常だ。朝、港や市場の前に立ち、その日の仕事を探す。見つかれば日給PHP300〜500(約810〜1,350円)。見つからなければ収入ゼロ。
Pantawid Pamilya——条件付き現金給付
フィリピン政府はトンドのような貧困地域に対し、「Pantawid Pamilyang Pilipino Program(4Ps)」という条件付き現金給付プログラムを展開している。対象世帯は子どもの就学と定期的な健康診断を条件に、月額PHP500〜1,400(約1,350〜3,780円)の給付を受ける。
対象世帯数は全国で約440万世帯(DSWD、2024年)。世界銀行からも「世界最大規模の条件付き現金給付プログラムの一つ」と評価されている。効果は出ている——対象地域の就学率は改善し、乳児死亡率も低下した。ただし、貧困そのものを解消するには至っていない。
見えない壁
マカティのビジネス街とトンドの距離は直線で約5km。だが、この5kmの間に所得、教育、健康、寿命のすべてに明確な格差がある。
在住外国人がトンドに行くことは少ない。観光地ではなく、治安上の懸念もある。だが、フィリピンの経済成長率(年間5〜6%)の裏側にある景色として、トンドの存在を知っておくことには意味がある。GDPの成長曲線は平均値の話であって、分布の話ではない。