バカリャウ365日——ポルトガル人が塩ダラに取り憑かれた500年
ポルトガルには「バカリャウの料理法は365通りある」という言い回しがあります。北大西洋のタラを塩漬けにして500年間食べ続ける、この国の異常なまでの塩ダラ愛を解説します。
この記事の日本円換算は、1EUR≒160円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(EUR)の金額を基準にしてください。
ポルトガルは大西洋に面した国です。新鮮な魚がいくらでも手に入る。にもかかわらず、この国の国民食は「干した塩漬けのタラ」——バカリャウ(Bacalhau)です。
なぜ海の国が、わざわざ塩蔵した魚を最も愛するのか。
365通りのレシピ
「Mil e uma maneiras de cozinhar o bacalhau(バカリャウの千一の料理法)」——ポルトガルのことわざは365通りどころか1,001通りとまで言います。実際にポルトガル料理のレシピ本には、バカリャウだけで数百のレシピが掲載されています。
代表的なものだけでも挙げきれません。
- Bacalhau à Brás(ブラス風): 千切りにしたバカリャウを炒め卵と細切りポテトと合わせた料理。リスボンの定番
- Bacalhau com Natas(クリーム煮): バカリャウとジャガイモのグラタン
- Bacalhau à Gomes de Sá(ゴメス・デ・サ風): ポルト発祥。ジャガイモ、玉ねぎ、オリーブ、ゆで卵と合わせたオーブン料理
- Pastéis de Bacalhau(バカリャウのコロッケ): 塩ダラとジャガイモの揚げ物。バーのおつまみの定番
- Bacalhau à Lagareiro: オリーブオイルをたっぷりかけてオーブンで焼いた豪快な料理
レストランでバカリャウ料理を注文すると、12〜25EUR(約1,920〜4,000円)程度。高級レストランでは30EUR以上になることもあります。
大航海時代の保存食
バカリャウがポルトガルの食文化に根づいた背景には、大航海時代の実用的な理由があります。15世紀、ポルトガルの船乗りたちは数ヶ月から数年にわたる航海に出ました。冷蔵技術のない時代、長期保存できるタンパク源は限られていました。
北大西洋(ニューファンドランド、アイスランド、ノルウェー沖)で大量に獲れるタラを塩漬けにして乾燥させると、数ヶ月から数年間保存が可能です。軽量で栄養価が高く、水で戻せば調理できる。航海の食料として理想的でした。
ポルトガルの漁師たちはニューファンドランド沖まで遠征してタラを獲り、塩漬けにして持ち帰りました。この漁業は1500年代から20世紀半ばまで約500年続きました。
ポルトガルではタラが獲れない
最も奇妙な事実がここにあります。ポルトガル近海ではタラはほとんど獲れません。タラは冷たい北大西洋の魚であり、ポルトガルの温暖な海域には生息しません。
つまり、ポルトガルの国民食は、国内で獲れない魚を塩漬けにしたものです。現在もポルトガルのバカリャウの大部分はノルウェー、アイスランド、カナダから輸入されています。ポルトガルは世界最大のバカリャウ消費国であり、年間約7万トン(推計)を消費するとされています。
クリスマスのバカリャウ
ポルトガルのクリスマスイブ(Consoada)の食卓には、バカリャウが欠かせません。最も伝統的なのは「Bacalhau Cozido com Todos(バカリャウの煮込み、全部のせ)」——塩ダラを茹でて、ジャガイモ、卵、キャベツ、ニンジンを添えた素朴な料理です。
クリスマスにバカリャウを食べるのは、カトリックの断食の伝統に由来します。イエス・キリスト誕生の前夜は肉を避け、魚を食べる——その「魚」がバカリャウだったわけです。
在住日本人のバカリャウ生活
日本人にとって、塩漬けの干しダラは馴染みのない食材です。しかし、味の方向性は意外と日本の食文化と近い。塩辛さ、うまみ、魚のタンパク質——日本の干物文化との共通点があります。
スーパーマーケットでバカリャウを買うと、1kgあたり10〜20EUR(約1,600〜3,200円)程度。購入後は24〜48時間かけて水に浸して塩抜きする必要があります。この「戻し」の工程を忘れると、とんでもなく塩辛い料理が出来上がります。
リスボンの「Pastéis de Bacalhau(バカリャウのコロッケ)」は、カフェやバーで1個1〜2EUR(約160〜320円)。ビール片手のおつまみとして、在住日本人の間でも人気です。
海の国が、遠い北の海の魚を塩漬けにして、500年間食べ続ける。この執着には合理的な起源があります。しかし、冷蔵庫もサプライチェーンも整った現代において、まだバカリャウが食卓の王座にいるのは、もはや合理性ではなくアイデンティティの問題です。