1755年のリスボン大地震が現代の街に残すもの:災害記憶と都市設計の関係
1755年の大地震・津波・火災でリスボンは壊滅した。ポンバル侯爵による計画的復興が作った「下町(バイシャ)」の格子状街路——災害が都市の形を変えた歴史を読む。
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リスボンの下町(バイシャ・ポンバリーナ)を歩くと、碁盤の目のように整然とした通りが続く。中世都市にしては不自然なほど規則的だ。これは計画都市だ——270年前の大災害の後に。
1755年11月1日(万聖節)の朝、リスボンに大地震が襲った。規模はマグニチュード8〜9と推定され(現代の計算による)、その後の火災と津波が合わさって当時の都市をほぼ壊滅させた。死者は推定1万〜10万人(推計幅が大きく、研究によって異なる)に達した。
ポンバル侯爵の計画復興
地震直後、国王ジョゼ1世の宰相ポンバル侯爵は復興の指揮を執った。「死者は葬り、生者の世話をせよ」という言葉を残しつつ、都市計画を立案した。
計画の特徴:
- 格子状の街路(グリッドプラン)で通気と日照を確保
- 耐震構造の木組み(ポンバル式構造)を建築に取り入れた
- 標準的なファサードデザインで統一感を持たせた
この計画が作ったのが現在のバイシャ・ポンバリーナ地区だ。アウグスタ通りを中心とした区画は今もリスボンの商業中心地として機能している。
哲学史への影響
リスボン大地震は欧州の知的世界に衝撃を与えた。「神が世界を統治しているなら、なぜこのような惨事が?」という問いがヴォルテールの「カンディード」(1759年)に結実し、啓蒙主義の楽観的な神義論への批判として記録された。
一つの都市の災害が欧州哲学を動かした。
現代のリスボンと地震リスク
リスボンはテタオニクス的にはリスクのある場所に位置しており、現代の建築基準は耐震性を考慮している。ただし古い建物(1755年以前の建物は少ないが、19〜20世紀初頭のものは多い)の耐震性には差がある。
「リスボンにまた大地震が来るか」という問いに専門家は「可能性はゼロではない」と答える。それでも大多数の在住者は日常的にこのリスクを意識せずに生活している——東京に住む人が地震リスクを常に意識しないのと同じように。
在住者にとっての意味
バイシャ・ポンバリーナを歩くとき、「この街は270年前の廃墟の上に作られた」という事実を知っていると、見える景色が変わる。
建物の美しさだけでなく、「壊れた後に再建する」という人間の意志の表現として街を読む視点が生まれる。それがリスボンという街の見方を豊かにする。