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アズレージョは装飾ではなく建築技術だった——ポルトガルのタイル文化と地震の関係

ポルトガルの街を彩る青いタイル「アズレージョ」。その美しさの裏に、1755年リスボン大地震後の復興技術と防火対策があったことを読み解きます。

2026-05-17
アズレージョタイル地震建築ポルトガル

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ポルトガルの街を歩くと、建物の外壁を覆うタイル——アズレージョ(azulejo)——が目に飛び込んでくる。青と白を基調にした幾何学模様や宗教画。「美しい装飾だ」で終わらせてしまうことが多いが、アズレージョにはもう一つの顔がある。1755年のリスボン大地震後、この国の建築を変えた実用技術としての側面だ。

アズレージョの起源——アラブからイベリアへ

アズレージョという言葉はアラビア語の「al-zulayj(磨かれた石)」に由来する。8〜15世紀にかけてイベリア半島を支配したムーア人(北アフリカのイスラム教徒)がもたらした技術だ。

15世紀にポルトガル王マヌエル1世がセビーリャ(スペイン)のアルカサルを訪問し、タイル装飾に感銘を受けたことが、ポルトガルでのアズレージョ普及のきっかけとされている。当初はスペインからの輸入品だったが、17世紀にはポルトガル国内で独自のスタイルが確立された。

1755年——すべてを変えた地震

1755年11月1日、リスボンを推定マグニチュード8.5〜9.0の巨大地震が襲った。万聖節(Dia de Todos os Santos)の朝だったため、多くの住民が教会にいた。地震の後に津波が押し寄せ、倒壊した建物からの火災が3日間燃え続けた。死者数は3万〜5万人と推定されている。

リスボンの中心部はほぼ壊滅した。そして復興を指揮したポンバル侯爵は、ただ元に戻すのではなく、耐震と防火を考慮した都市計画を導入した。これが「ポンバリーナ建築(Pombalino)」だ。

アズレージョの実用的な役割

ポンバリーナ建築で再建されたリスボンのバイシャ地区では、建物の外壁にアズレージョが広く使われた。その理由は美観だけではない。

防火: タイルで覆われた壁は、木造部分が露出した壁よりも火災の延焼を防ぐ効果がある。1755年の火災で壊滅的な被害を受けたリスボンにとって、防火は最優先課題だった。

防水・断熱: 釉薬をかけたタイルは雨水の浸入を防ぎ、壁の劣化を遅らせる。ポルトガルの湿潤な冬には実用的な効果がある。

メンテナンスの容易さ: ペンキの塗り替えは数年ごとに必要だが、タイルは数十年持つ。長期的に見るとコスト効率が良い。

ポルトのサン・ベント駅——アズレージョの集大成

ポルトのサン・ベント駅(Estação de São Bento)は、約2万枚のアズレージョで飾られた壁画がある駅舎だ。ポルトガルの歴史的場面が青と白のタイルで描かれている。画家ジョルジュ・コラソの作品で、1905年から1916年にかけて制作された。

駅に降り立ったとき、多くの旅行者がここで足を止める。交通インフラでありながら美術館のような空間。これがポルトガルにおけるアズレージョの位置づけを象徴している——実用と芸術が分離されていない。

アズレージョの危機——盗難と職人不足

近年、古いアズレージョの盗難が社会問題になっている。18世紀のオリジナルタイルは骨董品として高値で取引されるため、空き家の壁からタイルを剥がして売る窃盗が後を絶たない。ポルトガル政府は2017年に法律を強化し、アズレージョの不法な売買を厳しく取り締まるようになった。

もう一つの問題は職人不足だ。手描きのアズレージョを制作できる職人は減り続けている。リスボンやポルトにはアズレージョ工房がいくつか残っているが、若い世代の担い手が少ない。

在住者としてアズレージョを見る

ポルトガルに住んでいると、アズレージョは風景の一部になって意識しなくなる。だが、一度「なぜこの壁にタイルが貼ってあるのか」を考え始めると、一枚一枚のタイルが歴史と技術と美意識の交差点に見えてくる。

散歩のついでに、建物の壁のアズレージョを意識して見てみると、同じ「青いタイル」の中にも時代ごとのスタイルの違いが見えてくる。16世紀の幾何学模様、17世紀の宗教画、18世紀の世俗的な風景画、19世紀の工業化されたパターンタイル——壁が歴史書になっている国だ。

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