Kaigaijin
海外在住日本人のメディア
自然・気候

天災のない国の不安——シンガポールに地震も台風もないことの代償

シンガポールには地震も台風も大雪もない。災害がない楽園に見えて、その「平穏」が国民にもたらす独特の不安と、危機を制度で代替する社会のかたちを考える。

2026-08-13
気候防災社会心理リスクシンガポール

この記事の日本円換算は、1SGD≒125円で計算しています(2026年6月時点)。為替は変動するので、現地通貨(SGD)の金額を基準にしてください。

地震も台風も大雪もない。これを楽園と呼ぶか、別の問題の始まりと見るか。

シンガポールは大きな自然災害にほとんど見舞われない。プレートの境界から外れ、台風の主要な進路からも外れている。日本人が無意識に抱えている「いつか大きな揺れが来る」という前提が、ここには存在しない。だが、災害がないことは思っているほど単純な恵みではない。

災害は社会の「定期点検」でもあった

日本では、地震や台風が定期的に社会を揺さぶる。そのたびに、人々は備蓄を見直し、避難経路を確認し、地域で助け合う。災害は破壊であると同時に、社会の結束や危機対応能力を試し、鍛え直す機会でもあった。

シンガポールにはその「定期点検」がない。自然が人を試す場面が少ないぶん、危機に対する身体的な備えが育ちにくい。災害が来ないことは、災害への耐性を持つ必要がないことと裏表だ。

危機を「制度」で代替する

自然の脅威がない代わりに、シンガポールは別の危機を国家戦略の中心に据えてきた。水の枯渇、食料の途絶、近隣との関係、経済の地位。目に見える天災がないぶん、見えにくいリスクへの警戒を制度として持ち続けている。

これは、天敵のいない島で進化した生物が、別の脅威に過敏になるのに似ている。脅威の総量はゼロにはならない。形を変えて現れる。地面が揺れない国は、地面以外のものが揺れることを恐れる。

「平穏」が生む別種のストレス

災害のない安定は、心理的にすべて快適かというと、そうでもない。

予測可能で管理された環境は、逸脱を許さない圧力にもなる。天災のように「誰のせいでもない不運」が少ない社会では、うまくいかないことの原因が自分や他人に向きやすい。自然が荒れない代わりに、競争や評価という人工的な嵐が人を吹き続ける。教育の重圧や仕事の緊張感は、その一つの表れと見ることもできる。

駐在員が感じる奇妙な軽さと重さ

日本から来た人は、最初この「揺れない安心」に軽さを感じる。地震速報に身構える習慣が、すっと消える。

だが住み続けると、その軽さの裏にある別種の緊張に気づくことがある。自然は静かでも、社会は静かではない。災害のない国は、災害以外のすべてを管理しようとする国でもある。天災がないことは、ただの幸運ではなく、別の形のリスクとの取引なのかもしれない——という見方ができる。

コメント

読み込み中...