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億万長者もMRTに乗る国——公共交通を「平等装置」にした設計思想

高所得者がひしめくシンガポールで、富裕層も普通にMRTに乗る。車を持つことを意図的に高コストにし、公共交通を全員の足にした政策の論理を読み解く。

2026-08-18
MRT公共交通都市政策格差シンガポール

この記事の日本円換算は、1SGD≒125円で計算しています(2026年6月時点)。為替は変動するので、現地通貨(SGD)の金額を基準にしてください。

世界有数の富裕層が集まる都市で、その富裕層が普通に地下鉄に乗っている。

シンガポールのMRTには、スーツ姿のエグゼクティブも、学生も、清掃員も、同じ車両に乗り合わせる。所得が極端に開いた社会でありながら、移動の手段だけは奇妙に平等だ。これは偶然ではなく、政策が意図して作り出した状態だと考えると面白い。

車を「あえて高くした」国

シンガポールで自家用車を持つのは、世界でも屈指の高コストだ。

車両本体に加えて、車を保有する権利そのものを競売で買う必要があり、その価格が高い。各種の税や費用も重なる。結果として、同じ車種でも他国よりはるかに高くつく。これは市場の偶然ではなく、狭い島に車があふれるのを防ぐための意図的な設計だ。

土地が限られた島で全員が車を持てば、道路は破綻する。だから保有のハードルを高く設定し、車を「持てるが、持つと高い」ものにした。需要を価格で抑える、典型的な政策的介入だ。

公共交通を「逃げ場」ではなく「主役」にする

車を高くするだけでは、人々の不満が残る。そこで対になるのが、公共交通への投資だ。

MRTの路線網を広げ、バスと接続させ、運賃を抑える。車を諦めた人が、それでも不便なく暮らせる水準を保つ。車を高くする政策と、公共交通を充実させる政策は、セットで初めて機能する。片方だけなら、ただの不便か、ただの渋滞になる。

この結果、公共交通は「お金のない人の手段」ではなく「みんなの手段」になる。富裕層が乗るのは、それが遅いから我慢しているのではなく、十分に速くて合理的だからだ。

同じ車両に乗ることの意味

所得が違う人が同じ空間を共有する経験は、社会にとって見えにくい価値を持つ。

車という個室にこもれば、人は自分と似た層としか接しなくなる。公共交通は、否応なく異なる層を同じ車両に詰め込む。経済的に分断された社会でも、移動の時間だけは、互いの存在を視界に入れる。平等装置と呼べるのは、運賃が安いからだけではない。違う人生が同じ車両に同居するからだ。

駐在員にとっての示唆

シンガポールに来た日本人は、車がなくても生活がほぼ完結することに驚く。むしろ車を持たないほうが合理的な場面が多い。

これは、車を「ステータス」から「コスト」へ位置づけ直した社会のかたちだ。移動を個人の所有物ではなく、共有のインフラとして設計する。富の差を消せなくても、移動の差は政策で縮められる——シンガポールのMRTは、その一つの答えとして見ることができる。

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