Kaigaijin
社会

タイの象は観光資源じゃなくて、経済問題の核心にいる

象の観光産業、象使いの貧困、森林開発による生息地消失。「象に乗れる」観光の裏にある経済的必然と、その持続不可能性を読む。

2026-04-07
タイ観光産業動物福祉経済構造

タイの象は国のシンボルであり、観光資源であり、そして経済問題の結節点だ。「象に乗る」という観光体験の裏には、解きほぐすのが難しい経済的な糸がからまっている。

象が「失業」した

タイの象の歴史を語る上で外せないのが、1989年の商業伐採禁止令だ。

それ以前、タイの象は林業で重要な労働力だった。チーク材の運搬に象が使われ、象使い(マフート)は専門職として安定した収入を得ていた。タイ北部の山間部では、象と人間は「仕事のパートナー」として共存していた。

1989年、大規模な洪水を受けて政府が商業的な森林伐採を全面禁止。この決定自体は環境保護として正しかったが、数千頭の「働いていた象」が一夜にして失業した。

象の維持費は高い。成象は1日に100〜200kgの食料を必要とする。仕事がなくなっても象は食べる。マフートは象を養う収入源を失った。

観光が「就職先」になった

失業した象とマフートが向かったのが、観光産業だ。

「象に乗る」「象と水浴びする」「象のショーを見る」——これらの観光プログラムは、林業を失った象に「新しい仕事」を与える手段として発展した。

タイの象観光キャンプの数は数百カ所に上る。チェンマイ、パタヤ、クラビ——主要な観光地には必ず象関連のアトラクションがある。外国人観光客(特に欧米からの旅行者)がターゲットだ。

経済的な構図はこうだ。マフートは象を所有しているか、キャンプのオーナーに雇われている。キャンプは観光客から入場料やアクティビティ料金を徴収する。収益からマフートの給料と象の飼育費が賄われる。

この構造は一見うまく回っているように見える。しかし問題は、象の福祉だ。

「象に乗る」の何が問題か

象に人間が乗ること自体は、象の体格を考えれば物理的に可能だ。でも1日に何時間も観光客を乗せて歩き続けることは、象にとって負担になる。背中の構造は騎乗に最適化されていない(馬とは違う)。

さらに問題なのは、象を「従わせる」プロセスだ。野生の象や若い象を観光に使えるようにするために、一部のキャンプでは「パジャン」と呼ばれる伝統的な訓練(精神的に屈服させるプロセス)が行われてきた。動物愛護団体はこれを虐待として強く批判している。

2010年代以降、欧米の動物愛護意識の高まりを受けて、「象に乗らない」エシカルな象観光が増えてきた。Elephant Nature Park(チェンマイ)のような施設は、象を「見る」「一緒に歩く」「餌をあげる」だけのプログラムを提供し、騎乗を一切行わない。

マフートの貧困

ここで見落とされがちなのが、マフートの経済状況だ。

マフートの多くはタイ北部の少数民族(カレン族など)出身で、教育水準が低く、象の世話以外のスキルを持たない。象観光が彼らの唯一の収入源であることが多い。

エシカル観光への転換は象にとっては良いことだが、マフートにとっては必ずしもそうではない。騎乗プログラムは単価が高く、「象に乗らない」プログラムは単価が下がりやすい。収益が減るとマフートの給料にも影響する。

さらに、エシカル系のキャンプは外国人やNGOが運営することが多く、利益がマフートのコミュニティに還元されるかどうかは施設によって異なる。

「象を守る」と「マフートの生活を守る」は、必ずしも同じベクトルを向いていない。

生息地の問題

タイの野生象は推定3,000〜4,000頭。飼育象も同程度いるとされる。

野生象の問題は生息地の減少だ。農地開発とインフラ建設で森林が減り、象が人間の居住エリアに出没するケースが増えている。農作物の被害、人身事故——人間と象の衝突は年々増加している。

これも経済問題だ。農地を拡大しないと食料が足りない。でも農地を拡大すると象の居住地が減る。象が農地に来ると作物が荒らされ、農家の損失になる。政府は補償金を出しているが、十分ではない。

「文化体験」のコスト

日本人を含む外国人観光客が「象に乗る」とき、そこには複数のコストが隠れている。

まず、象の福祉のコスト。長時間の騎乗、不自然な環境での飼育、訓練プロセス——これらは観光客の視界に入らない。

次に、マフートの低賃金というコスト。観光客が支払う料金の多くはキャンプのオーナーに入り、マフートの取り分は限られる。

そして、生態系のコスト。飼育象が増えると野生象の遺伝的多様性に影響し、生態系全体のバランスが崩れる可能性がある。

どう向き合うか

象の観光をボイコットすれば問題が解決するわけではない。観光収入がなくなれば、象もマフートも行き場を失う。

現実的な方向性は、エシカル観光への段階的移行だ。騎乗からノーライドへ、ショーから自然観察へ、訓練から保護へ。この移行には時間とコストがかかる。

タイ政府は「象保護法」の整備を進めているが、施行と監視の体制はまだ発展途上だ。

象の問題は「動物愛護」の問題のように見えて、実態は労働・貧困・土地利用・観光産業の構造的問題だ。象というシンボリックな存在に、タイ社会の経済的矛盾が集約されている。

コメント

読み込み中...