タイの不敬罪(刑法112条)。外国人が知っておくべき「地雷の場所」
タイの刑法112条は、王室への批判・侮辱に対して3〜15年の禁固刑を定める。外国人も例外ではなく、タイ国外での行為でも訴追された事例がある。日常に潜むリスクの構造を整理する。
2025年、アメリカ人学者のポール・チェンバーズがタイの軍と王室に関する研究論文を理由に不敬罪で拘束された。この件は米国政府が懸念を表明するほどの外交問題に発展した。タイに住む外国人にとって、不敬罪(刑法第112条)は「知らなかった」では済まされない法律だ。
刑法112条の中身
条文はシンプルだ。「国王・王妃・皇太子・摂政を名誉毀損し、侮辱し、または脅した者は、3年以上15年以下の禁固刑に処する」。
一見すると他国の不敬罪と似ているように見えるが、実際の運用は際立って厳しい。複数の条項が重複して適用されるため、一つの投稿が複数の罪として数えられることがある。2020年以降だけで270人以上が訴追されており、うち多くは数十年の連続刑を宣告されている(人権団体「iLaw」の集計)。
国連人権専門家も2025年1月に廃止を求める声明を出したが、タイ政府は応じていない。
外国人に適用された事例
「自分は外国人だから関係ない」という認識は危険だ。
2007年、スイス人男性が国王の肖像写真を汚損したとして10年の禁固刑を宣告された(後に恩赦・国外追放)。2008年、オーストラリア人の作家ハリー・ニコライズは2005年に自費出版した小説に王室への言及があったとして、バンコクの空港で逮捕された。懲役3年の判決を受けたが6ヶ月で恩赦を得た。2011年には、アメリカ人のジョー・ゴードンが米国内でウェブサイトに王室に関するコンテンツを投稿したことを理由にタイで逮捕・収監された。タイ国外での行為でも、タイに入国した時点で訴追対象となり得ることが明確になった事例だ。
日常の中の「地雷」
在住外国人が気をつけるべき場面を具体的に考えてみる。
SNSの投稿と「いいね」: タイ国内のIPアドレスから、あるいはタイに居住する者として、王室に批判的な投稿を行うことはリスクがある。投稿だけでなく「シェア」や「いいね」も訴追対象になり得ると解釈されている。タイ人の友人が投稿した政治的内容をシェアする前に、一呼吸置く習慣は持っていた方がいい。
会話の場: バーや食事の席での会話は、周囲に誰がいるかわからない。タイ人の友人とでも、王室や政治の話題に踏み込む場合は相手が望んでいるかどうかを確認するべきだ。多くのタイ人は外国人と王室の話をすることを避けたがる。それ自体がリスクになり得るからだ。
映画・メディアの参照: Netflixや動画プラットフォームで配信されているコンテンツの中に、タイでは問題視される表現が含まれていることがある。タイ国内でそれを公共の場で再生・共有することには注意が必要だ。
デモや抗議活動: 2020〜2021年に高まった若者による民主化運動にシンパシーを感じる外国人も多かったが、集会への参加やSNSでの支持表明は在住外国人にとって慎重を要する行為だ。
「空気を読む」と「法律を知る」は別の話
タイ人が王室について話さないのは「空気を読んでいる」だけではなく、実際に法的リスクがあるからだ。同じ行為が在住外国人にも適用されることを理解した上で行動する必要がある。
一方で、観光客として短期滞在する際も同様のリスクは存在する。日本人旅行者が不敬罪で問われたケースは現時点では確認されていないが、法律の建前上は可能性がゼロではない。
タイに長く住む日本人の多くは「空気を読むことはできるようになった」と言う。問題は、その空気の基底にある法律構造を理解しているかどうかだ。旅行者として1〜2週間過ごすのと、数年単位で居住するのとでは、リスクの蓄積量が全く違う。
タイを生活の場にするなら、この法律の実態を一度きちんと調べておく価値はある。