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文化・社会構造の分析

プーケットの二つの顔——観光地化が変えてしまったものと残ったもの

プーケットは世界的なリゾートアイランドだが、観光開発が進む裏で地元漁師・農民の生活が変化してきた。開発の恩恵と摩擦、地元文化の現在地を掘り下げます。

2026-06-14
プーケット観光開発リゾート

この記事の日本円換算は、1THB≒4.3円で計算しています(2026年5月時点)。為替は変動するので、現地通貨の金額を基準にしてください。

プーケットタウンから車で30分。砂浜に立つリゾートホテルの裏手に、小さな漁村がある。

朝4時に船を出し、昼前に帰港し、市場に魚を並べる。観光客は来ない。彼らの生活は、数km先のビーチクラブとは別の時間軸で動いている。

プーケットが変わった速度

プーケットが国際的なリゾートとして「発見」されたのは1970〜80年代頃だ。それ以前は錫鉱山とゴム農園が経済の中心だった。

観光客数は増加を続け、コロナ前は年間数百万人が訪れると言われていた(観光省発表ベース)。コロナ禍の打撃の後、回復が進んでいる。

この急速な成長の中で、土地の値上がり、外資系ホテルの増加、地元資本の押し出しという変化が起きた。

地元民と観光産業の関係

観光業がプーケットの経済を支えていることは事実だ。ホテル、飲食、交通、お土産——多くの雇用が観光に関連している。

ただし「観光で潤っている」のが誰か、という問いは複雑だ。大型リゾートの利益は外資系企業や都市部の資本家に流れることが多く、地元の人がその恩恵を直接受けているとは限らない。

土地の値段が上がれば、長く住んできた家族が土地を売ることになる。それ自体が「良いこと」か「悪いこと」かは、単純には言えない。

プーケットタウンの別の顔

観光客がビーチリゾートに集中する一方、プーケットタウン(旧市街)には19世紀の錫鉱山時代の建築が残っており、プラナカン文化(タイ・南方系中国人の混血文化)の痕跡がある。

ショップハウスが立ち並ぶタラン通りやディボーラニット通りは、建物の色彩が美しく、カフェや雑貨店が入居している。バンコクから逃れた「プーケットの別側面」を見たい旅行者が最近増えているエリアだ。

2004年インド洋大津波の記憶

2004年12月26日のインド洋大津波は、プーケットを含むタイ南部沿岸を直撃した。

死者数はタイ国内だけで数千人に上った(タイ当局発表。地域によって数字が異なる)。観光客も含む多くの命が失われた。

その後の再建では観光インフラが優先的に整備され、早期に観光産業が回復した一方、被害を受けたコミュニティの復興は場所によってスピードが異なった。

津波の記念碑と観光ビーチが同じエリアに存在する——プーケットには「忘れてはいけないもの」と「楽しむもの」が混在している。

混雑を避けてプーケットを楽しむ

旅行者としてプーケットを訪れるなら、ハイシーズン(11〜4月)のピーク時を避けるか、観光客が少ない北部ビーチや内陸部を組み合わせると、全く異なる体験になる。

南部の有名ビーチ(パトン等)は混雑・商業化が進んでいるが、ナイハーン・カロン・マイカオなどは比較的落ち着いている。それぞれの地区に別々の表情がある。

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