ゴミを分別しない国のリサイクル率——タイの回収は誰がやっているのか
タイの家庭ゴミは分別されずに出される。それでも資源が回収されるのは、非公式な担い手が選別を引き受けているからだ。都市の代謝を支える見えない層を読む。
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日本から引っ越してきて最初に戸惑うことの一つが、ゴミの出し方だ。正確に言えば、出し方がないことに戸惑う。
分別の指示がない。曜日の指定もあいまいなことがある。生ゴミもプラスチックも紙も、同じ袋に入れて、決められた場所に置く。日本で毎週プラスチックを洗って乾かしていた習慣が、ここでは行き場を失う。
にもかかわらず、ペットボトルもアルミ缶も段ボールも、かなりの割合で回収されていく。誰がやっているのか。
分別は「出す側」ではなく「拾う側」がやる
日本の廃棄物システムは、家庭に分別作業を負担させることで成り立っている。市民が無償で選別し、行政が回収する。効率は良いが、市民の協力がなければ崩れる仕組みだ。
タイは反対の設計になっている。出す側は分別しない。代わりに、ゴミが集積されてから、回収する側が選別する。
その担い手は行政だけではない。ゴミ収集車の作業員が、収集の過程で売れる資源を抜き取っていく。集合住宅の警備員や清掃員が、住民の出したゴミからペットボトルを回収する。そして、リヤカーや改造したバイクで街を回り、資源だけを買い集める人たちがいる。
彼らは行政に雇われているわけではない。売れるから集めている。
価格が分別の指示書になっている
この仕組みの中核にあるのは価格だ。
アルミ缶には値段がつく。ペットボトルにも、段ボールにも、金属くずにもつく。買い取り業者がそれぞれの資材に単価をつけていて、集めた人はそこへ持ち込んで換金する。
つまり、何を分別すべきかを決めているのは、行政のルールではなく市場価格だ。値段のつくものは徹底的に集められ、値段のつかないものは残される。日本の分別ルールが「環境のために」という規範で動いているのに対し、こちらは損得で動いている。
規範より価格のほうが強いことがある。誰も見ていなくても価格は効く。指導も罰則も要らない。
これは生態系の分解者に近い構造だ。森の落ち葉を分解するのは、森を守ろうとする意志ではなく、そこに栄養があるからそれを食べる生物たちだ。彼らに指示は要らない。エネルギーの勾配があるところに、それを利用する者が現れる。
同じ論理は他の場所でも働いている。壊れた家電が捨てられずに修理屋に持ち込まれるのも、そこにまだ回収できる価値が残っているからだ。価格が残っているものは、誰かが必ず拾う。
値段のつかないものが残る
この仕組みの弱点も、同じ理屈から出てくる。価格のつかない廃棄物は、誰も回収しない。
薄いビニール袋、汚れた食品トレー、混合プラスチック、生ゴミ。これらは選別のコストに対して売値が見合わない。だから最後まで残り、埋め立てや不適切な処理に回る。
タイの街を歩けば、この「残るもの」の量は目で分かる。屋台で麺を買えば袋に入り、その袋が別の袋に入り、汁物はストロー付きの袋で渡される。持ち帰りに袋を重ねる習慣が、値段のつかない薄いプラスチックを日々大量に生産している。
タイのプラスチックごみ問題が繰り返し議論されるのは、この構造と無関係ではない。市場に任せた回収は、市場価値のあるものしか拾わない。環境負荷が高いのに価値の低い素材こそが、最も放置されやすい。
規制でレジ袋を減らす動きが進んできたのも、市場では解決しない領域だからだ。価格が働かない場所には、別の力を入れるしかない。
見えない労働に依存している
もう一つ直視すべきなのは、この選別を担っているのが、社会の中で最も不安定な立場にある人たちだという点だ。
固定給ではなく、集めた量と相場で収入が決まる。社会保障の網の外にいることが多い。衛生的にも安全とは言いがたい環境で、素手に近い状態でゴミを扱う。
都市の代謝が、この層の労働によって回っている。日本のリサイクルシステムが市民の無償労働に依存しているのと、構造としては似ている。ただ、負担している人たちの立場が違う。
在住者にできること
分別の仕組みがないからといって、何もできないわけではない。
ペットボトルや缶を、生ゴミと混ぜずに別の袋に入れて出す。それだけで、回収する人が選別する手間が大きく減る。汚れをざっと落としておけば資源としての価値も上がる。誰に指示されたわけでもないが、確実に下流の誰かの作業を楽にする。
住んでいるコンドミニアムに資源回収の仕組みがある場合もある。管理事務所に聞いてみると、想像より整った仕組みが用意されていることがある。運用は物件ごとに違い、管理組合がどれだけ機能しているかによって差が出るので、確認してみる価値はある。
ゴミ袋の中身が見せるもの
日本の分別ルールを窮屈だと感じていた人が、タイに来て解放感を覚えるのは自然なことだ。だがその楽さは、誰かが代わりに手を動かしていることで成り立っている。
ゴミを出す場所に立って数分観察していると、袋が置かれてから収集されるまでの間に、何人かの手が入ることに気づくはずだ。都市の背面で動いている仕組みが、そこだけ表に出ている。