台湾で「二二八」を話題にするときの空気の読み方
二二八事件は台湾の歴史で最も重い傷のひとつだ。台北の中心に二二八和平紀念公園があるのに、この話題を日常会話で持ち出す台湾人はほとんどいない。沈黙の構造を読む。
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台北駅から歩いて5分の場所に二二八和平紀念公園がある。面積7ヘクタール、台北市の中心部では最大級の公園だ。週末には家族連れがピクニックをし、平日は高齢者が太極拳をしている。
この公園の名前に含まれる「二二八」が何を指すか、公園でくつろぐ人々に聞いても、多くの人は表情を変えずに簡潔に答えるか、話題を変えるだろう。
二二八事件の概要
1947年2月28日、台北市で始まった市民の抗議が台湾全島に拡大し、中華民国政府(国民党)による武力鎮圧が行われた。犠牲者数は諸説あるが、行政院の調査報告(1992年)では18,000〜28,000人と推計されている。
事件後、台湾では38年間の戒厳令(1949〜1987年)が敷かれ、この間、二二八事件について公に語ることは事実上禁じられた。「白色テロ」と呼ばれる時期に、多くの知識人・政治家・一般市民が逮捕・処刑された。
40年間の沈黙が残したもの
二二八事件が公式に語られるようになったのは1990年代以降だ。李登輝政権下の1995年に二二八事件紀念碑が建立され、2月28日は「和平紀念日」として祝日になった。
だが40年間の沈黙は、家庭内の「語らない文化」を残した。祖父母世代が事件を経験し、親世代が戒厳令下で「語ってはいけない」と教えられ、その習慣が次の世代にも一部引き継がれている。
外省人と本省人——消えかけている区分
二二八事件は「外省人(大陸から来た人々)による本省人(台湾に先に住んでいた人々)の弾圧」という図式で語られることが多い。
だが現在の台湾では、外省人・本省人の区分は世代を経るごとに薄れている。外省人3世・4世は台湾で生まれ育ち、台湾語を話す。族群間の通婚も増えた。二二八は「外省人 vs 本省人」の問題から「国家権力による市民への暴力」という普遍的な問題として再定義されつつある。
日常会話での扱い方
台湾に住む日本人として、二二八について知っておくことは大切だが、日常会話で自分から持ち出す話題ではない。
理由はシンプルで、台湾の友人の家族構成がわからないからだ。相手の祖父が犠牲者かもしれないし、鎮圧した側かもしれない。あるいは両方の家系が混ざっているかもしれない。
台湾の友人が自分からこの話題を出したときに、聞く準備があること。それが最低限のリテラシーだと思う。二二八和平紀念館(公園内)は入場無料で、展示は中国語・英語・日本語に対応している。まず自分で見に行くのがいい。
歴史は沈黙の形をとることがある。台北の真ん中にある公園の名前が、毎日そのことを静かに伝えている。