阿里山の森林鉄道は、木を運ぶために作られた
嘉義から阿里山へ向かう森林鉄道は、観光路線ではなく伐採した木材を山から下ろすための産業インフラだった。日本統治時代に始まる林業遺産の構造を辿る。
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嘉義駅から阿里山までの71.4km。標高差は約2,200m。阿里山森林鉄道は世界で3つしかない登山鉄道の1つとされている(他はインドのダージリン・ヒマラヤ鉄道、スイスのユングフラウ鉄道)。
だがこの鉄道は、観光のために作られたものではない。
木材を下ろすためのインフラ
阿里山森林鉄道の建設は1906年に始まり、1912年に全線が開通した。目的は1つ——阿里山の巨木を伐採し、嘉義の製材所まで運搬すること。
日本統治時代(1895〜1945年)、台湾総督府は阿里山のヒノキ(紅檜・扁柏)を大規模に伐採した。阿里山のヒノキは樹齢1,000年を超える巨木が多く、建築材として極めて高い価値があった。東京の明治神宮の鳥居にも阿里山のヒノキが使われている。
問題は、伐採現場が標高2,000m以上にあること。人力で木材を下ろすのは不可能に近い。そこで、嘉義(標高30m)から阿里山(標高2,274m)まで鉄道を敷いた。
鉄道のエンジニアリング
71.4kmで2,200mを登る。平均勾配は約3%だが、実際にはスイッチバック(折り返し運転)とスパイラルルート(螺旋状のルート)を組み合わせて急勾配を克服している。
特に有名なのが「独立山」区間で、同じ山の周囲を3回まわりながら標高を上げていく。車窓から下を見ると、さっき通った線路が見える。
蒸気機関車の時代は、シェイ式(Shay type)と呼ばれる急勾配向けの機関車が使用された。通常の蒸気機関車が直線的に力を伝えるのに対し、シェイ式は歯車駆動でトルクを稼ぐ設計だ。
伐採の規模
阿里山での伐採は1912年から1945年まで続き、推定100万立方メートル以上の木材が切り出されたとされる。ヒノキ・スギ・ツガなどの針葉樹が中心だった。
伐採された木材は森林鉄道で嘉義まで運ばれ、嘉義の製材所(現在の「檜意森活村」跡地周辺)で加工された。嘉義はこの木材産業で発展し、日本統治時代には「木都」と呼ばれた。
戦後: 伐採停止から観光転換
1945年の終戦後、中華民国政府も阿里山の伐採を継続した。だが1970年代〜80年代にかけて環境保護意識が高まり、1991年に阿里山での商業伐採が全面禁止された。
伐採が終わると、鉄道の存在理由がなくなる。廃線の危機を乗り越え、1980年代以降は観光路線として再生した。現在は嘉義〜阿里山間の一部区間が運行されており、全線復旧に向けた工事が進んでいる。
阿里山で見えるもの
阿里山に行くと、神木(ご神木)と呼ばれる巨大なヒノキの切り株が残っている。樹齢3,000年とされた「阿里山神木」は1997年の台風で倒壊し、現在は横たわった状態で保存されている。
残された巨木を見ると、伐採の規模が実感できる。切り株の直径は3〜4m。こうした木が数十万本単位で切り出された。
「阿里山は美しい」と感じると同時に、「この森はかつてもっと巨大だった」という事実に気づく。今の森林は、伐採後に植林された二次林が中心だ。
嘉義という街
嘉義市は人口約26万人の地方都市。台北からは高鉄(新幹線)で約1時間半、嘉義駅からバスか森林鉄道で阿里山へ向かう。
嘉義の中心部には「檜意森活村(Hinoki Village)」がある。旧日本統治時代の林業関係者の宿舎をリノベーションした施設で、ヒノキ造りの日本家屋が並ぶ。カフェ、工芸品店、資料館が入っており、台湾人にも人気の観光スポットだ。
嘉義のもう1つの名物は鶏肉飯(ジーローファン)。鶏の細切りをご飯に載せて鶏油のタレをかけたシンプルな料理で、1杯TWD 30〜50(約144〜240円)。嘉義が発祥の地とされている。
森林鉄道の運賃
阿里山森林鉄道の嘉義〜阿里山間の運賃は片道TWD 384(約1,843円)。所要時間は約3.5時間(全線復旧後の予定)。一部区間のみの運行時はTWD 100〜240程度。
阿里山国家森林遊楽区の入園料は大人TWD 300(約1,440円)。園内にはご来光スポット「祝山」への支線鉄道もある(別料金TWD 150、約720円)。
木を運ぶために作られた鉄道に、今は人が乗っている。産業インフラが観光インフラに転換する過程を、車窓から2,200m分の標高差とともに体感できる。