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文化・社会構造の分析

眷村(ジュエンツン)——台湾に残る「国共内戦の痕」を歩く

1949年、国共内戦に敗れた国民党とともに台湾に渡った約120万人(推定)が住んだ眷村(ジュエンツン)。再開発で次々と消える集落の記憶と、保存される理由を探る。

2026-06-12
眷村歴史国共内戦

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台湾の各地に眷村(ジュエンツン)と呼ばれる集落の跡がある。1949年、中国共産党との内戦に敗れた蒋介石率いる国民党政府が台湾に撤退した際、軍人とその家族が住むために設けた集合住宅だ。

「一時的な仮住まい」のはずだった眷村は、結果として数十年にわたって続いた。

眷村とは何だったか

眷村の住民は中国各地の省から来た人々だ。四川省、湖南省、浙江省、山東省——方言も習慣も異なる人々が同じ集落に集まり、独特の混合文化が生まれた。

出身省が違っても「台湾本省人(戦前から台湾にいた人々)」との対比で「外省人(外省籍)」として括られ、省籍問題が台湾社会の複雑な軸の一つになった。

眷村料理という遺産

眷村が台湾の食文化に与えた影響は大きい。中国各地の省の料理が台湾に持ち込まれ、台湾式に変化した。

「眷村菜(ジュエンツンツァイ)」と呼ばれるカテゴリには、大皿の蒸し魚・紅燒肉(ホンシャオロウ、豚の角煮)・炸醬麵(ジャージャン麵)などがある。眷村出身の家庭料理が台湾全体の食文化に溶け込んでいった。

再開発と保存の間で

現在、多くの眷村は再開発によって解体された。国防部(国防省)が土地を民間に売却し、マンションが建設される。しかし文化的遺産として保存される眷村もある。

桃園市の「馬祖新村(マズーシンツン)」、台中市の「光復新村(グァンフーシンツン)」、台南市の「眷村文物館」などは整備・保存されており、観光地として訪れることができる。

眷村は消えかけているが、それが象徴した歴史の問いはまだ終わっていない。台湾のアイデンティティ論争が続く限り、眷村はその原点として語り継がれるだろう。

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