台湾に残る日本:畳・神社跡・風呂文化の意外な継承
日本統治時代(1895〜1945年)の台湾には、今でも日本文化の影響が生活の中に残っている。畳部屋・神社跡・温泉文化・語彙の借用まで、台湾に溶け込んだ日本を探る。
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台湾の老舗旅館で靴を脱いで部屋に入ると、畳が敷かれていることがある。日本から来た旅行者には当たり前の光景に見えるが、これは日本統治時代から続く文化的な継承だ。
50年間の日本統治が残したもの
1895年から1945年の50年間、台湾は日本の統治下にあった。この期間に建設されたインフラ(鉄道・水道・学校・医療施設)の多くが、戦後も台湾社会の基盤として使われ続けた。
文化的な影響も深く、日本語・日本の生活習慣・食文化・建築様式が台湾の生活に取り込まれた。
語彙に残る日本語
台湾では今でも日常会話の中に日本語由来の言葉が残っている。台語(台湾語)には特に多く、
- 歐吉桑(オジさん、おじさん) → おじさん
- 便當(ビエンダン) → お弁当
- 壽司(スーシー) → 寿司
- 刺身(チーシェン) → 刺身
- 阿沙力(アーシャリー) → あっさり(性格がさっぱりしている意味で使われる)
高齢者世代は日本語を話せる人が今でもいる。日本語を勉強している若い世代もJ-POPやアニメを通じて日本語に親しんでいる。
神社跡の転用
日本統治時代に建設された神社は、台湾全土に数百あったとされる。戦後、多くが取り壊されたり、別の用途に転用されたりした。
- 台北護国神社跡 → 圓山大飯店(グランドホテル台北)がその地に建設された
- 桃園神社 → 現存しており、台湾で最もよく保存された旧日本神社として知られる
- 台南神社跡 → 公園として整備
神社跡への関心は近年高まっており、台湾の歴史研究や観光の文脈で再評価されている。
温泉文化
台湾の温泉(溫泉、ウェンチュアン)文化は日本統治時代に本格化した。北投(ベイトウ)温泉は台北から電車で30分、日本統治時代に「北方の温泉地」として開発された。今でも旅館・日帰り施設が集まり、台北市民の身近な温泉地として機能している。
日本式の「湯治」的な入浴文化は台湾で「泡湯文化(パオタン)」として独自に発展しており、家族・カップルでの日帰り温泉は台湾でも一般的なレジャーになっている。
和室・畳のある空間
民宿(民宿、ミンスー)や旧式ホテルに畳部屋が残っている場合がある。近年は「日式(日本スタイル)」をコンセプトにしたカフェ・宿が若者に人気で、障子・竹・畳を取り入れたインテリアが「和風ノスタルジー」として台湾で再ブームになっている。
台湾に残る日本は「遺跡」ではなく「生きた文化」として機能している部分が多い。日本人が台湾に行って感じる「なんか親しみやすい」という感覚は、50年間の歴史が作り出した文化的近接性によるものかもしれない。