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日本人コミュニティ

LAリトル東京、観光地になった日系コミュニティの100年

ロサンゼルスのリトル東京は日系アメリカ人の歴史が凝縮した場所だ。第二次大戦中の強制収容、戦後の再建、そして現在の姿。その変遷と現在の日本人在住者との関係。

2026-04-13
リトル東京ロサンゼルス日系人歴史

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ロサンゼルス・ダウンタウンの東側に、4ブロック弱の日本語の看板が並ぶエリアがある。ラーメン屋、居酒屋、日本食材店、書道教室。ここがリトル東京(Little Tokyo)だ。

観光客として来ると「コンパクトな日本村」に見える。でもここは120年以上の歴史を持つ日系アメリカ人の生活の場であり、その歴史は決して平坦ではなかった。

形成の歴史

リトル東京の起源は1880年代に遡る。西海岸への移民が増え始めた日本人が、互いに近い場所に住み始めたことで自然発生的なコミュニティが形成された。

1900年代初頭には銀行、新聞社、商店街が整い、独立したコミュニティとして機能するようになった。1920〜30年代にかけて最盛期を迎え、数千人の日本人が生活する活気ある街になった。

強制収容という断絶

1941年12月の真珠湾攻撃後、アメリカ政府は日系人を「安全保障上のリスク」とみなし、西海岸の日系人約12万人を強制的に収容所に移送した(大統領令9066号、1942年)。

リトル東京の住民も例外ではなく、ほぼ全員が財産を手放して収容所に送られた。空になったリトル東京には、南部からの黒人移民が入居し、しばらく「ブロンズビル」と呼ばれた。

戦後、収容所から帰還した日系人は文字通りゼロから再建を始めた。没収された財産は返還されず、コミュニティの再構築には何年もかかった。1988年に米国議会が強制収容に対する謝罪と1人あたり$20,000の補償を決議したが、亡くなった人への補償は間に合わなかった。

現在のリトル東京

現在のリトル東京は日系アメリカ人の文化保存と観光が重なる場所だ。日系アメリカ人国立博物館(Japanese American National Museum)には強制収容の記録が展示され、日系人の歴史を知る上で最も詳細な情報源の一つだ。

商業的には、ラーメン専門店、日本料理店、紀伊國屋書店(ロサンゼルス店)、抹茶スイーツの専門店などが立ち並ぶ。週末は観光客も多く、かなりにぎやかだ。

日本からの新しい在住者との関係

「日系アメリカ人」と「日本から来た日本人在住者(ニューカマー)」は別のコミュニティだ。

日系アメリカ人は3世・4世が中心で英語が母語。日本語が話せない人も多く、文化的アイデンティティとしての「日本性」はあるが、現代の日本の生活習慣とは異なる部分も多い。

一方、日本からの在住者(駐在員・現地採用・留学生)はトーランスやガーデナのエリアに集中する傾向がある。リトル東京は「遊びに行く場所」という感覚で、日常の生活拠点ではない人が多い。

トーランスとリトル東京の違い

在住日本人が多いエリアとして知られるトーランス(Torrance)には、複数の日系スーパー(マルカイ、ミツワなど)、日本語対応のクリニック、日本語学校が揃う。日系のラーメン店・居酒屋も充実しており、日本語だけで生活できる環境に近い。

リトル東京は歴史的・文化的意義があるが、在住者の日常生活の拠点というよりは、ロサンゼルスの日本人的なランドマーク的な存在だ。

初めてLAに来る日本人にとって、リトル東京は「日系人の歴史」を知る場所として、トーランスは「日本人の生活環境」を知る場所として、それぞれ意味がある。

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