アオザイはなぜオフィスの制服になったのか——伝統衣装とナショナリズムの奇妙な関係
ベトナムの銀行や航空会社ではアオザイが制服として使われている。民族衣装が労働着になるまでの経緯と、そこに潜むジェンダーの問題を考える。
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ベトナム航空のキャビンアテンダントが着ているアオザイは赤い。銀行の窓口は淡いブルーが多い。学校の女子生徒は白。ベトナムでアオザイを見ない日はない。だがこの「民族衣装を日常的に着る」という状態は、自然発生したものではない。
アオザイの近代史
現在のアオザイの形——体にフィットする長い上衣とワイドパンツ——が定まったのは1930年代だ。ハノイのデザイナー、カット・トゥオンがパリのファッションからの影響を受けて考案した。つまりアオザイは「古代からの伝統衣装」ではなく、わずか100年程度の歴史しかない。
ベトナム戦争中、南ベトナムではアオザイが「自由の象徴」として着用された。北ベトナムでは「ブルジョワ的」として避けられ、労働者の服装が推奨された。統一後、アオザイは再び「ベトナムの象徴」として復権する。同じ服が、政治的立場によって正反対の意味を持った。
制服としてのアオザイ
現在、アオザイを制服として採用しているのは主に以下の業種だ。
- 航空会社: ベトナム航空、バンブーエアウェイズ
- 銀行: Vietcombank、BIDV等の大手銀行の窓口担当
- ホテル: 5つ星ホテルのフロント
- 学校: 公立高校の女子生徒の制服(毎週月曜日が一般的)
共通点がある。いずれも「外部の目に触れる」ポジションで、かつ女性が着る。男性のアオザイは婚礼や外交行事以外ではほとんど見かけない。
ジェンダーの非対称
アオザイの制服化には「ベトナムらしさ」の演出という側面がある。航空会社がアオザイを制服にするのは、搭乗した瞬間に「ベトナムに来た」と感じさせるブランディングだ。
だがこのブランディングを担うのは常に女性だ。男性スタッフはスーツやシャツを着ている。「国の顔」としてのナショナリズムの表象が、女性の身体に集中的に乗せられている。
若いベトナム人女性の中には、アオザイの制服に複雑な感情を持つ人もいる。「美しいけど窮屈」「なぜ女だけ伝統衣装を着なければならないのか」。だがこの議論はまだ大きな声にはなっていない。
在住日本人の目から
日本人がベトナムに住み始めると、アオザイの日常性に驚く。日本で言えば着物をオフィスで着ているようなものだが、ベトナムではそれが当たり前になっている。
テトの時期にはアオザイを仕立てる日本人も多い。$30〜100(約4,650〜15,500円)で自分のサイズに合わせた一着が作れる。ホーチミンのドンコイ通りやハノイの旧市街にオーダーメイドの店が集中している。
民族衣装を「伝統」と呼ぶとき、その伝統がいつ、誰によって、何のために作られたかを知ると、見え方が変わる。アオザイは美しい。同時に、政治と経済とジェンダーが縫い込まれた布でもある。