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交通・移動

消えゆくシクロ——観光のために生き延びる乗り物の皮肉

かつてベトナムの足だった人力三輪車シクロは、今や観光用にだけ残る。実用から消えた乗り物が観光資源として延命する構造に、保存と消滅の皮肉を読み解く。

2026-08-11
シクロ交通観光歴史

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ベトナムの観光地で、客が前、漕ぎ手が後ろの人力三輪車に観光客が乗っている光景を見かけます。シクロです。ゆっくりと街を巡るこの乗り物は、かつてベトナムの日常の足でした。今では、実用の場面でこれに乗る人はほとんどいません。シクロは「使われる乗り物」から「見られる乗り物」へと役割を変えました。この変化に、近代化と観光の関係が凝縮されています。

速さに負けた

シクロが衰退した理由は単純です。遅いからです。バイクが普及し、Grabのような配車が広がると、人力でゆっくり進む乗り物は移動手段として割に合わなくなりました。同じ距離を、より速く、より安く移動できる選択肢が現れた。

技術の進歩は、古い道具を実用の舞台から押し出します。シクロもその例外ではありませんでした。日常の足としての役目は、エンジンを積んだ乗り物に譲り渡された。

観光が延命させる

普通なら、実用を失った道具は消えていきます。ところがシクロは消えなかった。理由は観光です。「昔ながらのベトナム」を体験したい旅行者にとって、ゆっくり街を巡るシクロは魅力的な被写体であり乗り物になる。

ここに皮肉があります。実用から退いたことが、かえって観光資源としての価値を生んだ。速くて便利だったら、わざわざ観光客が乗る理由はなかったでしょう。遅くて時代遅れだからこそ、ノスタルジーの対象になる。

保存と本物のあいだ

観光用に残されたシクロは、かつての日常のシクロと同じものでしょうか。形は同じでも、文脈はまったく違います。生活の必需品だったものが、体験商品になっている。この「保存」は、対象を生かしているようで、別のものに変えてもいる。

伝統工芸でも祭りでも、似たことが起きます。実用や信仰から切り離され、観光のために維持されるうちに、中身が少しずつ変質する。残すことと、本物であり続けることは、必ずしも両立しません。

消えるものを見送る視点

シクロに乗るかどうかは好みですが、乗るときには少しだけ、その乗り物が辿った道のりを思い浮かべると味わいが深まります。かつて人々の生活を運び、速さに敗れ、ノスタルジーとして生き延びている乗り物。

近代化は多くの道具を退場させてきました。その中で、観光という延命装置に救われたものと、静かに消えたものがある。シクロの座席は、その分かれ道を眺める席でもあります。

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