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カラオケは悲しみの治療装置である——ベトナム人が歌う理由

ベトナムのカラオケ市場は推定5億USD規模。だがベトナム人がカラオケに行く動機は娯楽だけではない。失恋、失業、喪失——感情を処理するためのインフラとしてカラオケが機能している。

2026-05-23
カラオケ音楽文化メンタルヘルスベトナム文化

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ベトナムのカラオケ店舗数は全国で推定2万〜3万軒。人口1億人に対して、コンビニより多い密度でカラオケが存在する。

日本のカラオケは「友人と楽しむ娯楽」が主な用途だ。ベトナムでは、それに加えて「感情の処理装置」としての機能がある。

Nhac Bolero——悲しみの歌が国民歌謡になった国

ベトナムのカラオケで最も歌われるジャンルはNhac Bolero(ニャック・ボレロ)だ。1960〜70年代の南ベトナムで流行したラテン調の歌謡曲で、歌詞のテーマはほぼすべて「別離」「故郷」「失恋」「戦争の記憶」だ。

1975年の統一後、Nhac Boleroは退廃的だとして一時禁止された。だが禁止されても人々は歌い続けた。2000年代にカラオケが普及すると、Nhac Boleroはカラオケの定番として完全に復権した。

悲しい歌を大声で歌うことで感情を発散する——日本の演歌に近い構造だが、ベトナムの方がカラオケへの依存度が高い。

部屋の設計思想

ベトナムのカラオケは個室型が主流だ。日本と似ているが、部屋のサイズが違う。20〜30人が入れる大部屋が標準で、会社の飲み会や家族の集まりでカラオケを使う。

料金は1部屋あたり200,000〜500,000VND/時間(約12〜30USD)。人数で割ると1人あたり数百円。ビールやつまみを頼んでも1人100,000〜200,000VND(約6〜12USD)程度で収まる。

音響設備は日本のカラオケチェーンに匹敵するか、それ以上のものを入れている店も多い。ベトナム人にとってカラオケの音質は妥協できないポイントだ。

ホームカラオケという現象

ベトナムの住宅街を歩いていると、一般家庭から大音量のカラオケが聞こえてくる。ホームカラオケだ。

アンプ・スピーカー・マイクのセットが1,000,000〜3,000,000VND(約60〜180USD)で買える。YouTubeのカラオケチャンネルに繋げば、曲は無限に手に入る。

結果、週末の住宅街は複数の家から別々の歌が同時に流れるカオスな音響空間になる。騒音問題として行政が規制を強化しているが、効果は限定的だ。

感情処理のインフラ

ベトナムにはカウンセリング文化が根付いていない。メンタルヘルスの専門家は都市部に偏在し、地方部ではほぼゼロだ。

この文脈で、カラオケは非公式のセラピー装置として機能している。失恋した友人をカラオケに連れて行き、Nhac Boleroを歌わせ、泣かせ、ビールを飲ませる。翌日には「まあ、次行こう」になる。

これは科学的にも一定の根拠がある。歌うことでオキシトシンとエンドルフィンが分泌され、ストレスホルモンのコルチゾールが減少する——という研究は複数存在する。

日本人とベトナムカラオケ

日本人がベトナムのカラオケに誘われたとき、日本の曲は少ないが入っている。AKB48、YOASOBI、ONE OK ROCKあたりは主要なカラオケ店なら見つかる。

だがベトナム人と行くなら、Nhac Boleroを1曲覚えて歌うと距離が一気に縮まる。歌詞の意味がわからなくても、メロディを追うだけで「この人、ベトナムの文化を理解しようとしてる」というシグナルになる。

カラオケは娯楽であり、治療であり、社交の場だ。ベトナムでは、歌わない人より歌う人の方が社会的に信頼される——というのは半分冗談で、半分本当だ。

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