Kaigaijin
交通・インフラ

ベトナムのバイクは交通手段じゃなくてインフラだ

ホーチミンのバイク密度は1,000万台超。単なる乗り物ではなく屋台・宅配・引越し・移動店舗として機能する多層インフラ。道路の上に乗った第二のインフラを読み解く。

2026-04-07
ベトナムバイクホーチミンインフラ都市交通

この記事の日本円換算は、1USD≒158円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、USD建ての金額を基準にしてください。

ホーチミン市の登録バイク台数は約900万台(ホーチミン市交通局、2024年時点)。市の人口は約1,000万人だから、ほぼ1人1台だ。朝の通勤時間帯にドンコイ通りの歩道に立つと、視界を埋め尽くすバイクの波が文字通り「流れ」として目に入る。

日本人はこの光景を見て「バイクが多い国だな」と思う。でもベトナムのバイクは「交通手段」という言葉で括ると本質を見誤る。バイクは道路というインフラの上に構築された、もう一つのインフラだ。

バイクは移動するプラットフォーム

ベトナムのバイクの使われ方を観察すると、「人が乗って移動する」のは機能の一部に過ぎないことが分かる。

屋台: バイクの荷台にフォーの鍋を積んで路上で営業する。固定店舗の家賃が不要。場所を変えられるから需要のある場所に移動できる。バイク1台が「移動式レストラン」として機能する。

宅配: Grab、ShopeeFood、BeMinの配達員は全てバイク。ホーチミンの狭いヘム(路地)は車が入れないが、バイクなら入る。配達のラストワンマイルをバイクが担っている。

引越し: 冷蔵庫をバイクに載せて走る光景は、ベトナムに住んだことがある人なら見覚えがあるはず。ソファ、マットレス、テレビ、植木鉢——バイクで運べないものはほぼない。トラックを手配するより安いし、渋滞に強い。

移動店舗: 花、果物、宝くじ、アイスクリーム、ガス管、靴、帽子——バイクの荷台に商品を積んで売り歩く行商人がホーチミン市内に数万人いる。彼らにとってバイクは「車輪のついた店舗」だ。

通学: 家族4人乗りは違法だが日常的に見かける。父親が運転し、前に子ども、後ろに母親がもう一人の子どもを抱えて乗る。公共交通が不十分なエリアでは、バイクが唯一の通学手段だ。

なぜバイクがここまで普及したか

ベトナムのバイク依存は偶然ではなく、構造的な必然だ。

都市設計: ホーチミンもハノイも、フランス植民地時代の狭い街路がベースになっている。車前提の都市設計ではなく、歩行者と馬車のスケールで作られた道路網に、人口が10倍になった。狭い道を大量の人が移動する手段として、バイクが最適だった。

公共交通の不在: ホーチミンの地下鉄1号線は2024年に開業したが、路線はまだ1本。バスはあるが定時性が低く、ルートが限られる。公共交通がカバーしない広大なエリアを埋めているのがバイクだ。

価格: ホンダ・ウェーブ(最もポピュラーなモデル)は新車で約2,000〜2,500万VND(USD 800〜1,000)。月収の2〜3ヶ月分で買える。車は10倍以上する。中古バイクなら500万VND(USD 200)程度からある。

所得水準と車の価格: ベトナムの自動車には高い輸入関税と登録税がかかり、車両価格は日本の1.5〜2倍になることもある。平均月収がUSD 300〜500の国で、車はまだ贅沢品だ。

バイク経済圏の規模

バイクを中心とした経済圏の規模は巨大だ。

  • Grab Vietnam: 配達員の大多数がバイク。ベトナムでのGrabの月間アクティブユーザーは数百万人規模
  • バイク修理業: ホーチミン市内に推定数千店のバイク修理店がある。タイヤ交換、オイル交換、パンク修理は路上で即座に対応される
  • ガソリンスタンド: 路上の瓶入りガソリン販売(ウイスキーボトルに入ったガソリンを道端で売る)も含めると、燃料販売のかなりの割合がバイク向けだ
  • 駐車場ビジネス: 商業施設・レストラン・カフェのほぼ全てにバイク駐車場がある。駐車料金は5,000〜10,000VND(USD 0.2〜0.4)だが、1日に数百台が止まる場所ではそれだけで商売になる

電動バイクへの移行

ベトナム政府は大気汚染対策として電動バイク(EV)の普及を推進している。VinFastが2023年からEVバイクの販売を本格化し、価格はガソリンバイクと同程度まで下がってきている。

ホーチミン市は2030年までに市内中心部へのガソリンバイクの乗り入れ規制を検討しているが、バイク文化を「やめさせる」のではなく「電動に置き換える」方向だ。バイクインフラそのものは残る。

バイクが消えた後に何が起きるか

仮にホーチミンの地下鉄が10路線完成し、バスネットワークが整備され、バイクの必要性が減ったとする。何が起きるか。

屋台が消える。路上の行商人が消える。ヘムの奥まで届く宅配ネットワークが崩れる。引越しコストが跳ね上がる。低所得層の移動手段が失われる。

バイクは「古い交通手段」ではなく、ベトナムの都市経済を支える基盤インフラだ。道路が第一のインフラなら、バイクはその上で動く第二のインフラ。レストラン、物流、小売、通勤、通学——あらゆる機能がバイクというプラットフォームの上で動いている。

ベトナムでバイクの波に巻き込まれそうになったとき、「危ない」だけじゃなく「この流れが都市を動かしている」と思うと、見え方が少し変わる。

コメント

読み込み中...