フォーはただのスープではない——食を通じたベトナムのアイデンティティ
ベトナムを代表する料理フォー。北部と南部で味が異なり、歴史と移民の記憶を宿す一杯が、国民のアイデンティティとどう結びついているかを在住者の視点から考察します。
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朝7時、ハノイの路地裏。プラスチックの赤い椅子に腰を下ろすと、丼が運ばれてくる。透き通った黄金色のスープ、やわらかく煮込まれた牛肉、米粉の平打ち麺。フォーボー(牛肉フォー)が1杯35,000〜50,000VND(210〜300円)。日本人の感覚では「安い朝食」だが、ベトナム人にとってこれは食事以上の何かだ。
北部と南部、同じ名前で別の料理
ハノイのフォーとホーチミンのフォーは、見た目は似ているが口に入れると別物だとわかる。
北部のスープはシンプルで澄んでいる。牛骨・生姜・玉ねぎを何時間も煮込んだ出汁に、塩だけで味を整える。具材は牛肉のみ。余計なものを入れない。薬味もネギと白玉ねぎのスライス程度だ。
南部(ホーチミン)のフォーはまるで違う。スープは甘みがある。砂糖を加え、豆もやし・バジル・唐辛子・ライムを自分で足す。テーブルに並ぶ薬味の数が北部の倍以上ある。フォーガー(鶏肉フォー)も南部では一般的だ。
この違いは単なる「地域の味の好み」ではない。南部は長年にわたって中国系移民やフランス植民地文化の影響を受け、さまざまな食材・スパイスが流入してきた。一方、北部ハノイは「本場」「伝統」という意識が根強く、シンプルさを守ることがアイデンティティになっている。
フォーの起源と移民の記憶
フォーの歴史は20世紀初頭にさかのぼる。フランス植民地時代、北部のナムディン省あたりで牛骨スープの麺料理として生まれたとされる。フランスによる牛肉消費の普及が、ベトナムの新しい料理文化を生んだという見方もある。
1954年のジュネーブ協定でベトナムが南北に分断されたとき、多くの北部人が南部へ移住した。彼らはフォーの作り方を持ち込み、南部の食材・嗜好と混ざり合った。その結果、南部のフォーは独自の発展を遂げた。
1975年の統一後、大量のベトナム人が海外へ渡った。アメリカ・フランス・オーストラリアに根付いたベトナム人コミュニティは、異国の地でフォーを作り続けた。今や「Pho」は英語の辞書に載る単語だ。世界中のベトナム料理店でフォーが食べられる背景には、離散した人々の記憶がある。
在住者が感じるフォーの特別さ
ベトナムに数ヶ月住むと、フォーの食べ方に「正解がある」と感じるようになる。
地元の人は食べながら汁を足してもらい、一気に食べきる。時間をかけすぎると麺が伸びる。ライムは入れすぎると酸っぱくなる。「あの店のスープは他と違う」「あそこの麺は細すぎる」といった会話が日常的に交わされる。
フォーは屋台でも高級店でも食べられる。値段の差は2〜10倍あるが、地元の人が好む店は必ずしも高い店ではない。祖父の代から続く路地裏の屋台に、毎朝同じ常連客が座る。
在住外国人として「フォーが好きだ」と言うと、ベトナム人の顔が少し明るくなる気がする。言語の壁を超えて、食で少しつながれる感覚。それがフォーという料理のもつ力かもしれない。
一杯の中に何が詰まっているか
フォーを食べながら考える。この一杯には南北分断の歴史があり、植民地時代の痕跡があり、海外移民の郷愁がある。毎朝この味で一日を始めるベトナム人にとって、フォーは「自分たちがベトナム人であること」の感覚と結びついているのではないか。
観光客として食べるフォーと、在住者として毎朝食べるフォーは、同じ料理でも少し違う体験になる。路地の空気、常連客の会話、椀を傾ける音。それらを含めた「場の記憶」が積み重なって、ようやくフォーが単なるスープでなくなっていく。