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文化・社会構造の分析

歩道は通路ではなく居間——ベトナムの公私が溶ける場所

ベトナムの歩道は歩くための空間ではなく、食事・商売・社交・昼寝の場として使われる。公私の境界が溶ける路上文化を、空間の所有という観点から読み解く。

2026-08-08
歩道路上文化都市公共空間

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ベトナムで歩道を歩こうとすると、たいてい歩けません。バイクが駐められ、屋台が広がり、低い椅子に人が座り、商品が並べられている。歩行者は車道の端をすり抜けて進むことになる。日本人の感覚だと「歩道が機能していない」となりますが、見方を変えると、歩道がもっと豊かな用途で使われているとも言えます。

歩くための空間ではない

日本では歩道は歩行者のための専用空間です。そこに物を置けば違反になる。ベトナムの歩道は、もっと曖昧で多目的です。店の延長であり、食堂であり、駐輪場であり、近所の社交場でもある。

なぜこうなるのか。ひとつは、家が狭いからです。間口の狭い縦長の家では、家の中だけで生活が完結しません。料理を出す、客を迎える、休む——その一部が自然と外に染み出す。歩道は、家の足りない部分を補う「外のリビング」になっています。

公私の境界が溶ける

ベトナムの路上では、どこまでが店で、どこからが公共かが、はっきりしません。店先の椅子に座っているのが客なのか近所の人なのか、外からは区別がつかない。私的な空間と公的な空間が、グラデーションでつながっている。

これは無秩序ではなく、別の秩序です。誰がどこを使えるかについて、明文化されていない暗黙のルールが存在します。新参者は最初それが読めず、戸惑う。住むうちに、その見えない地図が少しずつ分かってきます。

流動的な所有

歩道の同じ一角が、時間帯によって持ち主を変えます。朝はフォーの屋台、昼は別の食堂、夜はビアホイの席。空間が固定的に所有されるのではなく、時間で貸し借りされている。

これは都市の土地利用としては、実はかなり効率的です。同じ面積を、一日のうちに何度も別の用途で回転させている。一つの所有者が独占するより、多くの人の生計を支えている。

整然より生きた街

近代的な都市計画は、歩道を歩道として整然と保とうとします。ベトナムの歩道は、その理想からは程遠い。けれど、その雑然さの中に、家の狭さを補い、小商いを生み、人を出会わせる仕組みが詰まっています。

整然とした空っぽの歩道と、雑然として人で溢れた歩道。どちらが都市として「生きている」のか。ベトナムの路上は、その問いを足元から突きつけてきます。

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