ベトナムで屋台のフォーが100円の理由。コストの解剖
ハノイやホーチミンの屋台でフォー1杯が25,000〜50,000VND(約150〜300円)で買える。この価格を可能にするコスト構造を分解すると、ベトナム経済の断面が見えてくる。
この記事の日本円換算は、1VND≒0.006円(1万VND≒60円)で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(VND)の金額を基準にしてください。
ハノイの路地にある屋台でフォーを頼むと、25,000〜40,000VND(約150〜240円)で出てくる。観光客向けのオールドクォーターだと50,000VND(約300円)まで上がるが、それでも東京のラーメン一杯の10分の1だ。この価格差は「安い国だから」という一言で片付けられることが多いが、実際には複数の構造的な要因が積み重なっている。
原価の解剖
屋台のフォー1杯のコスト構造を概算で考えてみる。
食材費: 鶏ガラや牛骨でとるスープのベース、米粉の麺、薬味(もやし、バジル、ライム)、具材(鶏肉または牛肉)。ハノイの市場でのざっくりした相場では、1杯あたりの食材費は5,000〜10,000VND程度と推計されることが多い。
場所代: 最も興味深いのがここだ。ホーチミン市やハノイの主要エリアでは、歩道の一角を間借りする場合に月20〜30百万VND(約12〜18万円)かかることもある(Vietcetera等の現地メディア報道)。ただしこれは交通量の多い幹線道路沿いの話で、路地裏や住宅街では遥かに安い。多くの屋台は自宅の軒先か、極めて小さなスペースを使うため、実質的な家賃コストはほぼゼロに近い場合もある。
人件費: 家族経営が基本だ。朝4〜5時から仕込みを始め、午前中の数時間だけ営業して終わるスタイルが多い。「賃金」という概念が発生しない自家労働が中心で、これが価格の安さに大きく貢献している。
収益構造: 一日100〜300杯を販売するとして、粗利は1杯あたり10,000〜20,000VND(約60〜120円)。一日の利益が100〜600万VND(約6,000〜36,000円)に達する有名店もある。フォー・バット・ダンやシン・タイのような行列店は一日に何百人もの客をさばき、月収で見ると中間的な会社員より豊かな場合もある。
レストランとの価格差の構造
同じフォーでも、エアコンの効いたレストランに入ると80,000〜150,000VND(約480〜900円)になる。3〜6倍の差はどこから来るか。
賃料だ。ホーチミンの観光エリア(ドンコイ通り周辺)の路面店舗賃料は、1㎡あたり月3,000〜5,000バーツ相当(ベトナムは米ドル建てで取引される場合も多く、1㎡あたり月$20〜50)まで上がることがある。50㎡のレストランなら月$1,000〜2,500(約15〜37万円)の家賃を毎月払い続ける。さらに電気代、スタッフの人件費、食器・清掃コストが加わる。
フォー1杯の価格の差異は、食材の質の差より、「場所を借りて人を雇う」コストを誰が負担しているかの差だと言っていい。
屋台が「安さを維持できる」条件
ホーチミン市内の屋台・路上販売は長年グレーゾーンだった。歩道占用、衛生基準、食品安全規制との兼ね合いで、当局が取り締まりを強化する局面と緩める局面が繰り返されてきた。
屋台の価格の安さは、この「非公式経済」としての性格に支えられている面がある。賃料が低く、設備投資が少なく、記録されない取引が多い。ホーチミン市だけで路上経済がGDPの11〜13%を生み出しているという推計は、その規模を示している。
一方で、ベトナムが経済成長し都市化が進むにつれて、この構造は変化しつつある。地代が上がり、規制が強化され、家族経営の屋台が存続しにくくなっていく。10年前と比べて、ハノイの旧市街の屋台はすでに減少傾向にあると現地で長く暮らす日本人が口をそろえて言う。
100円のフォーが食べられる今
在住日本人にとって、ベトナムの屋台は「安くて旨い食」という単純な享受で終わらせていい話かもしれない。ただ、その安さを支えている構造——家族の無償労働、低い地代、非公式な市場——が永続するとは限らない。
経済成長とインフレがゆっくりと、しかし確実に価格を押し上げている。2015年ごろに20,000VNDだったフォーが今は40,000VNDになっている。それでもまだ「安い」が、この傾向は続くだろう。100円のフォーは、特定の経済段階でしか成立しない料理でもある。