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文化・社会構造の分析

壊れたら直す国——タイの修理産業が生き残っている理由

タイでは家電も靴も鞄もバイクも、まず修理される。使い捨てが前提の社会と何が違うのか、修理が成り立つ条件を経済の側から読む。

2026-09-19
修理消費職人経済タイ

この記事の日本円換算は、1THB≒4.9円で計算しています(2026年6月時点)。為替は変動するので、現地通貨(THB)の金額を基準にしてください。

エアコンの効きが落ちてきたので業者を呼んだら、来たのは工具箱を積んだバイクの男性で、部屋のユニットを分解し、ベランダにホースを引いて水を流し、部品を交換して、二時間ほどで直して帰っていった。買い替えの提案は一度もされなかった。

タイでは、これが普通だ。壊れたら、まず直す。

修理が成立する条件は二つある

修理が経済的に合理的かどうかは、二つの数字の比較で決まる。修理にかかる費用と、新品を買う費用だ。

新品が安く、修理の人件費が高ければ、買い替えたほうが得になる。日本や欧米で修理産業が縮小したのは、この比率が逆転したからだ。工賃が新品価格に迫れば、誰も直さない。

タイでは、この比率がまだ修理の側にある。技術者の工賃が相対的に低く、部品が流通していて、新品は輸入品を含めて必ずしも安くない。だから直したほうが得だ、という計算が成り立つ。

同じ計算は車でも働いている。タイで中古車の価値が落ちにくいのも、どこでも直せる車が古くなっても資産価値を保つからだ。修理できるかどうかが、そのまま物の寿命と価格を決めている。

これは文化的な「もったいない精神」の話ではなく、単純に損得の問題として説明できる。

直すことを前提にした製品が売れる

需要側の条件が揃うと、供給側も変わる。修理される前提の製品のほうが売れるようになる。

分解しやすい構造、入手しやすい規格の部品、単純な機構。修理産業が生きている市場では、こういう製品が評価される。逆に、封止されていて分解できない、専用部品しか使えない製品は敬遠される。

近年、世界的に「修理する権利」が議論されているのは、この関係が逆向きに働いてきたからだ。修理されにくい製品を作ることが、メーカーにとって合理的になった。買い替えのサイクルが短くなれば売上が伸びる。

タイの街の修理屋は、その流れの外側で、まだ古いバランスの中で商売をしている。

修理は経験が資本の仕事

修理屋の技術者は、マニュアルを見て作業しているわけではない。持ち込まれる機械は年式も型番もばらばらで、正規の手順が存在しない場合も多い。

彼らが頼っているのは経験だ。同じような症状を何度も見てきた蓄積が、診断の速さを作る。設備投資は少ないが、技能の蓄積という形の資本が本体にある。

だから修理屋の質にはばらつきがある。腕のいい人を見つけられるかどうかで、結果がまるで違う。近所の人や、コンドミニアムの管理人に聞くのが、いちばん確実な探し方になる。ネットのレビューより、同じ建物で先週直してもらった人の一言のほうが精度が高い。

一度いい業者を見つけたら、連絡先を保存しておく価値がある。エアコン、洗濯機、給湯器、水漏れ——生活のトラブルは必ず起きる。そのときに「誰に電話するか」が決まっているかどうかが、対応の速さを決める。

何でも直る、というわけではない

修理に向くものと向かないものはある。

機械的な部品の故障、詰まり、汚れ、単純な電気系統。これらは直しやすい。一方で、基板や制御系が壊れた場合、部品の入手が難しく、修理費が高くつくこともある。

スマートフォンやパソコンは、修理店が多い一方で、部品の品質にばらつきがある。安く直った代わりに、部品が非正規品で寿命が短い、ということも起こりうる。データが入っている機器を預けることのリスクも考える必要がある。修理が生きている市場では中古端末の流通も厚くなるので、直すか買い替えるかの比較対象は新品だけではない。

見積もりを先に取ること、何を交換するのかを聞くこと、直らなかった場合の費用を確認すること。この三つは、どの修理でも共通する。

家電を買うときの視点が変わる

タイで暮らしていると、家電の選び方が日本にいたときと変わってくる。

最新の機能より、壊れたときに直せるかどうか。国内でサービス網を持つメーカーかどうか。部品が流通している型番かどうか。

これは製品の性能を評価する軸としては地味だが、実際の使用期間に効いてくる。買った時点の性能ではなく、五年後にまだ動いているかを基準にする発想だ。

使い捨てを疑ってみる

日本で暮らしていると、壊れたら買い替えるという行動が自然に感じられる。修理に出す手間と時間を考えると、そのほうが合理的に見える。

タイに来ると、その合理性が絶対ではないことに気づく。条件が違えば、判断も変わる。

修理が成立する社会と、成立しない社会。どちらが優れているという話ではないが、自分が当たり前だと思っていた行動が、実は特定の経済条件の産物だったと分かるのは、海外に住むことの効用の一つだ。

エアコンを直しに来た人がバイクで帰っていくのを見送りながら、日本で捨てた家電の何台が、まだ直せる状態だったのかを少し考えてしまう。

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