モールが公園の代わりになった国——タイの巨大商業施設が担う都市機能
バンコクのモールには買い物客より、涼みに来た人・勉強する学生・待ち合わせの家族がいる。熱帯都市で商業施設が公共空間を代替した経緯を読む。
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土曜の午後、バンコクの大型モールのベンチに座っている人たちを観察してみると、買い物袋を持っている人は意外に少ない。制服姿でノートを広げる学生、ベビーカーを押して延々と歩き回る家族、ソファで完全に寝ている中年男性。
彼らは消費者というより、住民として、ここにいる。
屋外が使えない都市の解
なぜモールに人が集まるのか。答えの半分は気温だ。
日中の屋外は、体感としてまともに長時間過ごせる環境ではない日が多い。9月なら、そこにスコールと冠水が加わる。日本の都市計画が前提にしている「公園でくつろぐ」「広場で待ち合わせる」といった屋外の公共空間の使い方が、この気候ではそのまま成立しない。
すると、誰かが冷房のかかった大きな屋内空間を提供したとき、それは自動的に街の広場になる。モールはショッピングセンターとして設計されているが、都市機能としては公民館・図書館・公園・駅前広場を兼ねている。
これは砂漠の都市が中庭を作り、北欧の都市が地下街を作ったのと同じ理屈だ。厳しい気候の下では、公共空間は屋内に潜る。9月なら、雨季の雨の降り方がこれに拍車をかける。午後の一時間だけ叩きつけるように降り、路面が水に沈み、また止む。その一時間をどこで過ごすかが、その日の予定を決めてしまう。
「無料の涼しさ」を配る事業モデル
モール側から見ると、この状況は悪くない。
冷房と椅子とトイレを無料で開放することで、大量の人が滞在する。滞在すれば、その一部は必ず何かを買う。フードコートで食べる、コーヒーを飲む、映画を見る。冷房は集客のコストであり、広告費の一形態だ。
この構造は、無料のコンテンツで人を集めて広告で回収するインターネット企業の設計に似ている。無料で提供されるものが本体ではなく、滞在時間そのものが商品になっている。
だからモールは大きくなり続ける。滞在時間を伸ばすことに投資の合理性があるからだ。映画館、水族館、フィットネス、コワーキング、学習塾、病院の分院まで入る。もはや商業施設という分類が実態に追いついていない。
階層が垂直に並んでいる
同じモールの中でも、階によって客層が変わる。エスカレーターを一階上がるたびに、周囲の服装と話し声の量が変わっていくのが分かる。
高級ブランドが並ぶフロアと、フードコートのフロアでは、そこにいる人の顔ぶれが違う。上層階の映画館やレストラン街と、地下の食品売り場でも違う。同じ建物の中に、複数の所得層の生活圏が垂直に積み上がっている。
この構造が面白いのは、階層が分離しているのに、同じ入口を通ることだ。誰でも入れて、誰でも冷房を浴びられる。買うものが違うだけで、空間へのアクセスは平等に近い。
ただし「近い」であって、同じではない。冷房が誰に届いていて誰に届いていないかは、この国の格差の見えやすい断面の一つだ。モールの中では平等に見えるものが、外に一歩出ると分かれている。
社会の格差が大きい都市で、これは無視できない機能を持つ。所得に関係なく使える屋内空間が民間資本によって供給されている。公共が担うはずの役割を、商業施設が引き受けている形だ。
在住者にとっての実用面
日本人の在住者にとっても、モールは生活の要所になる。
日本の食材や書籍が手に入る店舗、日本語対応のあるクリニックや歯科、銀行の支店、携帯電話の窓口、役所関係の代行サービス。生活に必要な手続きの多くが、同じ建物の中で片付く。雨季にはこれが特に効く。傘を差して複数の場所を回る代わりに、車かBTSでモールに入れば全部済む。
BTSやMRTの駅から直結しているモールが多いのも、雨季の移動を考えると大きい。住居を選ぶとき、駅からの距離だけでなく「駅から屋根の下でどこまで行けるか」を見ておくと、雨季の生活の質がはっきり変わる。徒歩5分でも、その5分が土砂降りの歩道なら、実質的な距離は倍になる。住まいの選び方で意外と効いてくるのがこの視点だ。
モールの外を歩く価値
とはいえ、モールだけで生活が完結してしまうことには副作用もある。
冷房の効いた通路と、外の路地では、街の見え方がまったく違う。屋台、市場、寺、路上の会話——タイという国の質感の大部分は、モールの外側にある。快適さを取ると情報が減る、という交換が起きている。
これは在住外国人が陥りやすい形でもある。空調のある空間だけを移動して、この国に住んでいるのに、この国をほとんど見ていない状態。快適だが、狭い。
だからモールは、拠点として使いつつ、そこから出ることを前提に付き合うのがいい。涼んで、水分を取って、また外に出る。熱帯都市におけるモールは目的地ではなく、補給地点として捉えたほうが、街との距離が近くなる。