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文化・社会構造の分析

四階のないビルに住む——台湾の数字のタブーが不動産価格に刻む差

台湾のエレベーターには4階のボタンがないことがある。数字の音が持つ縁起の良し悪しが、階数表記・部屋番号・車のナンバー、そして家賃にまで及ぶ。迷信が価格になる仕組みを読み解く。

2026-09-03
文化迷信不動産数字台湾

この記事の日本円換算は、1TWD≒5.1円で計算しています(2026年6月時点)。為替は変動するので、現地通貨(TWD)の金額を基準にしてください。

台北のマンションでエレベーターに乗ると、階数ボタンが3の次にいきなり5になっていることがある。あるいは「4」の代わりに「3A」と書かれている。物理的には四階が存在するのに、名前がない。

数字の「四」が、死を意味する語と音が近い。この音の一致だけを理由に、鉄筋コンクリートの一層が、公式には存在しないことにされている。

音が価値を持つという構造

中国語圏の数字の縁起は、発音の類似から生まれる。四は「死」に近く、八は「發(財を成す)」に近い。六は「流(順調に流れる)」、九は「久(長続きする)」に通じる。

これは意味の連想ではなく、音の連想だ。だからこの体系は、言語をまたぐと成立しない。日本語で「四」を「し」と読むときに感じる不吉さは、たまたま似た構造を持っているだけで、由来は別物だ。英語話者に4を避ける理由を説明しても、腑に落ちにくい。

音という、意味からすれば偶然でしかないものが、経済的な価値を持つ。ここが面白いところだ。ダジャレが不動産価格に反映される社会、と言い換えてもいい。

実際に価格差になるのか

不動産市場では、この選好が実際に価格に出る。同じ間取り、同じ棟の中で、階数や部屋番号によって成約価格に差が出ることがある、と業界では言われる。

具体的にどの程度の差なのかは、物件や地域、時期によってばらつきが大きく、一律の数字で語れるものではない。ただ、売る側が「この階は値引きしないと動きにくい」と判断する場面がある、という水準では実在する。

在住外国人にとって、これは逆にチャンスになりうる。四のつく階や部屋番号を気にしないなら、相場より条件の良い物件に当たる可能性がある。日当たりも間取りも同じで、番号だけが違う。その差が家賃に乗っているなら、拾わない手はない。

実際、台北で部屋を探す日本人が「四階だから安かった」と話すのは珍しくない。もっとも、内見して日当たりや騒音を確認するのは変わらず必要だ。安い理由が番号だけとは限らない。家賃の安さが電気代の請求方式で相殺されることもあるので、番号以外の条件も並べて見たほうがいい。物件選びの全体像は住まい探しのガイドにまとめてある。

車のナンバーと携帯番号

この数字の選好は、住居以外にも広く及ぶ。

車のナンバープレートには、8や6が並ぶものに人気がある。台湾では希望番号の制度があり、人気の番号は競争になる。携帯電話番号も同様で、8が多く4がない番号は、店頭で選ぶときに先に売れていく。

結婚式のご祝儀や、旧正月の紅包(赤い封筒)の金額も、この論理に従う。偶数が好まれ、奇数は避けられる。ただし4のつく額は偶数でも避ける。600元、800元、1,200元、2,000元といった額が使われ、400元は選ばれない。金額の絶対値ではなく、数字の見た目と音で選ぶ。

このあたりは、在住者が実際に困る場面だ。金額を包むときに、日本の感覚で「4」を含む額を選ぶと、受け取る側が微妙な顔をする。相手との関係で相場は変わるので、現地の同僚や友人に聞くのが確実だ。

迷信と呼ぶかどうか

こうした慣習を「迷信」と切り捨てるのは簡単だが、社会の側から見ると別の景色が見える。

数字の選好は、共有された記号体系として機能している。8を選ぶ人は、8が本当に富をもたらすと信じているとは限らない。ただ「8を選ぶのが好ましいとされている」という共通了解に従っている。贈り物の金額を偶数にするのは、相手も同じ体系を知っていて、その配慮を読み取れるからだ。

つまりこれは、信仰の問題というより、通貨に近い。誰も紙幣そのものに価値があるとは思っていないが、全員が価値があるとして扱うから、実際に機能する。数字の縁起も、全員が共有しているという事実が、価値を実在させている。

だから外国人が「気にしない」と言うのは、ある意味で正しく、ある意味でずれている。自分が気にしないことと、社会が気にしていることは、別の話だからだ。ご祝儀を包むときは、自分の合理性より相手の記号体系に合わせるほうが摩擦が少ない。

存在しない四階に住むということ

建物に戻る。エレベーターに4がなくても、その階には人が住んでいる。郵便物は届くし、住所も存在する。表示上の欠番と、物理的な実在がずれている。

このずれを毎日見ていると、社会というものの作られ方について、少し考えさせられる。あるものを「ない」ことにする合意が成立すると、案内板も、住所表記も、価格も、その合意に沿って組み直される。コンクリートは動かないが、その周りの制度は動く。

台湾のエレベーターに乗ったら、ボタンの並びを見てみてほしい。3の次が5になっているとき、そこには音の偶然が制度を書き換えた痕跡がある。そういう読み方もできる。

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