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文化・社会構造の分析

傘立てのない国で雨宿りする——台湾の店先が持つ半公共空間の性質

台湾の店先には、屋根が張り出した通路「騎樓」がある。雨と日差しを避けるこの空間は誰のものなのか。私有地でありながら公共に開かれた通路の制度と、そこで起きる摩擦を読み解く。

2026-09-05
都市建築騎樓公共空間台湾

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台北の旧市街を歩いていて、突然の豪雨に遭っても、傘がなくても濡れずに数百メートル進めることがある。建物の一階部分が奥に引っ込んでいて、二階から上が張り出し、その下が屋根付きの通路になっているからだ。

「騎樓(チーロウ)」と呼ばれるこの構造は、台湾の街の骨格をなしている。歩道のようでいて、実は民間の敷地の一部だ。この曖昧さが、街の景色をつくっている。

誰の土地なのか

騎樓は、建物の所有者の土地の上にある。一階の柱から外側は、法的には私有地だ。にもかかわらず、通行は公衆に開かれている。建築の規定で、この部分を通路として確保することが求められてきたからだ。

つまり、所有権は私、使用は公。この二重性が騎樓の本質だ。所有者は固定資産税を払い、掃除もするが、通行人を排除できない。

こういう「私有だが公共に開かれた空間」は、法学や都市計画では珍しくない。だが台湾ほど連続的に、街全体を貫く形で実装されている例は多くない。何百メートルもの屋根付き通路が、何十軒もの別々の所有者の敷地をつないで一本の道になっている。

亜熱帯の解として

なぜこの形式が定着したのか。気候から説明するのが一番わかりやすい。

台湾の夏は日差しが強く、雨は激しい。歩行者を守る屋根が街路に必要だが、道路の上に公共の屋根を架けるのはコストがかかる。そこで、各建物の一階部分を少しずつ提供させて、連続した屋根をつくる。公共インフラを、私有地の集合として実現した形だ。

似た構造は東南アジアの各地に見られ、ときにファイブフットウェイと呼ばれる。海峡植民地時代の建築規定に起源をたどる説明が広く行われている。気候帯が近い地域に共通の解が現れるのは、環境が設計を規定するという話でもある。

屋根の下で起きること

問題は、この空間が誰のものでもあり、誰のものでもないことだ。

店主にとっては、自分の敷地だ。商品を並べたくなる。バイクを停めたくなる。テーブルを出したくなる。実際、多くの騎樓には商品棚やスクーターが並んでいる。

歩行者にとっては、通路だ。塞がれると、車道に出るしかない。台湾の道路は交通量が多く、車道を歩くのは危険だ。

この対立は、制度上は「通行を妨げてはならない」という規則で処理される。自治体は取り締まりを行うし、通報の窓口もある。だが実効性には地域差がある。歩けなくなった騎樓を迂回して車道に出る、という場面は日常的に起きる。

車椅子やベビーカーだと、この問題はさらに深刻になる。段差が多いこともあり、騎樓は必ずしもバリアフリーではない。建物ごとに床の高さが違うため、一段上がったり下がったりを繰り返す。連続した屋根の下に、連続していない床がある。

匂いと音の連続体

騎樓を歩くと、感覚の情報量が多い。

朝は早餐店から油と豆漿の匂いが流れ、昼は弁当屋の湯気、夕方は臭豆腐と焼き物の煙。数歩ごとに匂いが切り替わる。店の中で調理しているのに、屋根が音と匂いを外に運ぶ。

これは商業空間としての騎樓の力だ。店内に入らなくても、商品と調理が歩行者の感覚に届く。ショーウィンドウより強い誘引力がある。

日本の商店街のアーケードと似ているようで、決定的に違うのは、アーケードが公共事業として一体的に設計されるのに対し、騎樓は個別の建物の集積として自然に生まれることだ。だから高さも床レベルも柱の間隔もバラバラで、統一感がない。その不揃いさが、街の表情になっている。

都市の「余白」という考え方

建築の文脈では、こういう中間領域を「グレースペース」と呼ぶことがある。内でも外でもない、所有と共有の中間にある空間。

日本の縁側や町家の軒下も、同じ系譜で語られることがある。だが日本の都市開発は、この曖昧さを整理する方向に進んだ。歩道は公共、敷地は私有、と線を引く。境界を明確にすると、責任の所在がはっきりし、管理しやすくなる。

台湾は、曖昧さを残したまま都市を拡張した。結果として、管理は難しいが、街は柔らかい。雨が降ったら誰でも軒下に入れる。屋台が出る。人が立ち話をする。境界がはっきりしないから、使い方も決まらない。

どちらが良いという話ではない。線を引くことで得られる秩序と、引かないことで残る余地は、トレードオフの関係にある。

濡れずに歩く街

台湾で暮らして数ヶ月すると、雨の日に無意識で騎樓のあるルートを選ぶようになる。少し遠回りでも、屋根が続く道を通る。街の地図が、屋根の有無で描き直される。

この屋根は、待つ時間の質も変える。台湾で豪雨のときに軒下で雨宿りする人の顔があまり深刻でないのは、三十分待てば止むことを知っているのと、待てる場所が連続しているからだ。屋根の下にはドリンクスタンドがあり、コンビニがあり、深夜まで開く書店がある。待つコストが環境によって下げられている。

一本の通りを歩くとき、自分がいま私有地の上を歩いているのだと意識することは、まずない。でもその屋根は、誰かが自分の土地の一部を通行に開いているから存在している。

台湾の街の歩きやすさは、この無数の小さな譲歩の集積でできている。所有と共有の境界を曖昧なままにしておく、という選択の結果だ。騎樓の下を歩きながら、そういう見方をしてみるのも面白い。

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