「インシャアッラー」は約束ではない——UAEで時間の感覚が変わる理由
UAEで頻繁に耳にする「インシャアッラー」。日本人が納期の返事だと受け取ると噛み合わない。時間を確定させない文化の構造を読み解く。
この記事の日本円換算は、1AED≒44円で計算しています(2026年6月時点)。為替は変動するので、現地通貨(AED)の金額を基準にしてください。
「木曜までにできますか」と聞いて、「インシャアッラー」と返ってくる。日本人はこれを「はい、木曜までにやります」と受け取ります。そして木曜になっても届かず、なぜ約束を破るのかと苛立つ。
でも、相手は約束を破っていません。そもそも約束をしていないからです。インシャアッラーは「神が望むなら」という意味で、未来を確定させない言い回しです。日本語の「はい」に対応する語ではなく、むしろ「はい」を成立させない語なのです。
未来を断定しない文法
日本語やビジネス英語は、未来を断定する形を持っています。「明日やります」「金曜に納品します」。話者が未来を保証する構文です。
一方、未来は本来、誰にも保証できません。事故も病気も渋滞も起きる。イスラム文化圏の言語習慣は、その不確実性を文の中に組み込みます。未来形を使うときに「神が望むなら」を添えるのは、謙虚さの表現であると同時に、事実として正確な言い方でもあります。
物理学に例えるなら、日本語の未来形は決定論的なニュートン力学で、インシャアッラーは確率的な量子力学です。どちらが正しいかではなく、記述の粒度が違う。
「わからない」を言わずに済む便利さ
現実的な機能もあります。UAEの職場は多国籍で、誰かの仕事は必ず誰かの仕事に依存しています。書類は他部署を経由し、承認は上長の予定次第。担当者本人にも、木曜に終わるかどうかは本当にわからない。
一つの案件に、出身国が職種ごとにきれいに分かれたチームが並んでいることも珍しくありません。書類を作る人、承認する人、届ける人が、それぞれ別の国から来て、別の言語で日常を送っている。工程が国境をまたぐたびに、確定できない要素が一つずつ増えていきます。
そのとき「わかりません」と答えるのは、相手を突き放す返事になります。インシャアッラーは、努力する意思を示しつつ、確定できないことも同時に伝える。断りでも承諾でもない中間の返事として、摩擦を減らしています。
期待値の置き方を変える
在住して数年経った日本人が口を揃えるのは、「怒らなくなった」ということです。怒りは期待との差分から生まれます。木曜に届くと期待していたから、届かないと腹が立つ。
期待を「木曜に届く」から「木曜前後に届く可能性が高い」に置き換えると、同じ現実がストレスにならなくなります。相手を変えるより、自分の期待の分散を広げるほうが早い。これは諦めではなく、確率分布に合わせた期待値の再設定です。
締切を守らせたいときにやること
とはいえ、仕事では締切が要る場面があります。在住者が実際にやっているのは、言葉ではなく構造で固定するやり方です。
日付だけでなく「何時」まで指定する。メールで送った内容をその場で口頭でも確認する。中間チェックポイントを設けて、締切当日ではなく数日前に一度状況を聞く。相手を疑うのではなく、確定しない前提でスケジュールを組む。これは相手の文化を尊重したまま、こちらの必要も満たすやり方です。
同じ発想は、この国の暦にも組み込まれています。宗教に基づく祝日の日程が直前まで確定しないため、企業も学校も「候補日つきの計画」を立てるのが常態です。個人の返事だけでなく、社会全体が幅を持たせた予定表で動いている。
締切の1週間前に一度連絡するだけで、遅延の多くは吸収できます。信頼関係が壊れるのは遅れたときではなく、遅れが直前まで見えなかったときです。
9月、学校と会社が同時に動き出す月
UAEでは9月に新学期が始まり、夏休みで本国に帰っていた人たちが戻ってきます。止まっていた案件が一斉に動き出し、その分、詰まりも起きやすい時期です。
夏の間「9月になったら」と先送りされていた話が、9月になると「インシャアッラー、来週」に変わることもあります。腹を立てる前に、そもそもいつ動くはずだったのかを確認し直すほうが早い。
この時期にやり取りが増えるのは、人の入れ替わりが一段落する月でもあるからです。担当者が夏の間に帰国して、後任がまだ引き継ぎの途中、という案件が同時に何本も走る。返事が曖昧なのは相手の性格ではなく、席が変わったばかりで本人も答えを持っていない、という場合があります。
時間は誰のものか
日本では、時間は個人が管理する資源として扱われます。スケジュールを立て、守り、守れなければ責任を負う。
UAEで感じるのは、時間がもう少し外部のものとして扱われている感覚です。予定は自分だけで決まるものではなく、神と、他人と、状況の合意で決まる。どちらが優れているという話ではありません。ただ、時間を自分の所有物だと思い込んでいると、この社会では消耗します。
インシャアッラーを「いい加減な返事」と読むか、「未来について正直な返事」と読むか。その読み替えができた頃から、この国での生活は少し楽になります。